稲子岳(南壁)

期 日:2019年8月24日(土)
参加者:Lなべたけ、わたゆき、みの

8月24日(土)
みどり池入り口(8:30)-中山峠手前のロープが張ってあるところ(11:15)-左方カンテ取り付き(12:30)-終了点(15:30)-中山峠(16:45)-みどり池入り口(18:30)

9月に前穂北尾根にトライする計画があり、その事前トレーニング目的の山行。北尾根は標高が高いバリエーションルートなので、稲子岳(2380m)南壁は良いトレーニングになった。取り付きに向かうルートは、だいたい2ルートあるようだった。ひとつはみどり池、中山峠分岐を過ぎて南壁の正面から向かうルート。もうひとつは、中山峠近くまで登り南壁の基部付近をトラバースして取り付きへ向かうルート。今回はトラバースルートで取り付きへ。トラバースルートの入り口は、標札とロープがかかっていたので、分かりやすかった。

稲子岳南壁

取り付きから終了点まで、4~5ピッチほど。上部は、ガレ混じりの岩場だった。3ピッチ目だったか?、フォローで2番目に登っていたメンバーが大きな落石を起こしてしまった。落石のリスクが高かったので、フォローの同時登攀はせずに、3番手はビレイ点で待機するように声かけをしていたがそれが幸いした。色々なルート取りができそうだったが、いちばん弱点と思われるやさしそうなルート取りで、 最終ピッチは、岩壁を左へトラバース~小さなガリーを詰めて終了点へ。終了点からすぐに稲子岳~にゅうへ抜ける踏み跡に合流。踏み跡を辿って、中山峠直下100~200mほどの標札とロープがかかっていた箇所へ戻った。ビッグバンドに継続するために、ザックをデポして中山峠までひと登りをした。夕方の雰囲気の良いみどり池としらびそ小屋を通り過ぎて、下山した。

(記 なべたけ)

上高地~徳本峠

期 日:2019年8月16日(金)~8月17日(土)
参加者:Lそうべぇ、メイメイ

8月16日(金)
島々・安曇支所前(6:06)=上高地(7:05~8:00)-徳本峠(11:30)

徳本峠クラッシクルートは島々谷から上高地に抜ける峠道。古く歴史に残る名門ルートである。上高地までの道が開通していなかった当時は、島々谷からこの峠道を経由し上高地まで2日ほどかかり歩かれていた。その距離は20km。釜トンネルの開通以降バスで上高地まで入れるので、今では上高地が北アルプスの起点となり、この峠道は忘れられたような存在となっているのではないだろうか。その分静かな山歩きができることが期待できる。私は、50周年記念山行の計画中にも、上高地から松本駅までの国道をランニングすることを考えていた。地図を一緒に見ていたさっちが、「徳本峠越えのクラシックルートは憧れなんだよね。」との一言でこの山行を計画した。8月の爽やかな夏を感じながらの峠越えを期待した。
8月4日に発生した台風10号(Krosa)は発生時点で「大型」の台風であった。私たちの山行は16日なので、台風一過の爽やかな山歩きができると信じていた。台風ははじめマリアナ諸島近海を北西に進んでいたが、8日頃から11日頃にかけてほとんど停滞し、8日には勢力のピークを迎えた。その後徐々に勢力を落とし、11日昼ごろから再び北西に進み始めたものの衰弱していった。暴風域が消滅した12日には平成29年の台風21号以来の「超大型」の台風となったが強風域が縮小し「大型」の台風に戻りつつ再発達した。勢力は弱まったものの太平洋沿岸においては風が強まり、高知県の室戸岬では15日8時に最大瞬間風速41.1メートルが観測された。中国地方を暴風域に巻込みながら豊後水道を北上、15日11時には愛知県佐多岬半島を通過。その後も勢力は衰えることなく同日15時ごろ広島県呉市付近に上陸した。その後台風10号は日本海に抜け、日本海を北上し16日21時に北海道の西、北緯43度、東経138度で温帯低気圧に変わりその後消滅した。横浜からの移動中の車の中では「台風の影響はないよね。」「ない!ない!」。と何度も自問自答を繰り返し、松本に向かったのであった。島々谷から峠越えが正しいルートなのだが、台風の影響で登山道が荒れているのではないかと思い、逆ルートの上高地から入山することにした。台風の影響を多少心配しての配慮だった。安曇支所駐車場(無料、届け等の連絡不要。自己責任で駐車可能)で仮眠中に雨が降ったが翌朝出発時には雨は上がっていた。
安曇支所前バス停からバスに乗り上高地に向かった。雨は徐々に降り始め、上高地到着時には本降りの雨になっていた。それでもまだ雨は上がると信じた。雨が降っているのに登山者や観光客で静かに賑わい、私たちもカッパを着込み徳本峠へと向かった。久しぶりに歩く上高地は懐かしく、小梨平のキャンプ場、明神へと歩きながら昔登山に来ていた頃を思い出していた。カッパを叩く雨音が強く、歩きながらの会話もままならず黙々と歩く。「さっちは楽しいのだろうか。きっとつまらないだろうな。」などと想像しながら歩いているうちに徳本峠に到着した。あっと言う間だった。

徳本峠

テント場にはテントが一張り張られていた。私たちもテント泊予定だったが、土砂降りの雨に濡れ寒く、テントを張る元気も気力もモチベーションも無くなっていたので徳本峠小屋へ泊めてもらうことにした。小屋番と島々谷から峠越えの話をしたら、台風の影響で沢が決壊しているかもしれないので、明日の下山に利用するのは控えた方が良いとのアドバイスがあった。無事に山小屋に泊まれ、やることも無く午後はのんびりとお酒で温まりながら夫婦水入らずで、山談義を楽しんだ。

8月17日(土)
徳本峠小屋(6:20)-ジャンクションピーク(7:18)-徳本峠(8:15)-上高地=島々安曇支所前(11:15)

17日は雨も上がっていたので峠から島々谷への下山も考えたが、小屋番のアドバイスに従うこととした。知った道、先人の経験と知らない道、無知から起こるリスクは計りしれない。このまま、上高地に下山するのももったいないので、霞沢岳への途中にある2428mのジャンクションピークまで行ってみることとした。山小屋に泊まっていた私たちより年配のお姉さまたちが、楽しそうに会話をしながら登っている。霞沢岳まで往復し今日も峠に泊まる予定だとのこと。私たちも時間が取れるようになったら「いっぱい山に登ってやるぞ!」と思いつつ上高地まで下山した。

(記 そうべえ)

硫黄岳~赤岳~編笠岳

期 日:2019年8月16日(金)~8月18日(日)
参加者:Lなべたけ、わたゆき

8月16日(金)曇り
稲子登山口(12:00)-本沢温泉(16:30)

台風10号の影響を考え、日程を1日後ろにずらして入山。みどり池経由で本沢温泉に入る予 定だったが、倒木(台風の影響?)のためバスが稲子湯まで入れず、稲子登山口から本沢温泉へ。 道中、頭上の縦走路の方からビュービューと強風が吹き荒れている音が絶えず聞こえてきていた。

8月17日(土)曇りのち晴れ
本沢温泉(7:00)-硫黄岳(9:10~9:20)-横岳(11:00)-赤岳(12:30~12:50)-キレット小屋(15:10)

昨日の嵐のような強風の音はなくなっていたが、まだ台風の影響が残っているかもしれず、縦走路に出て強風が続いていたら、下山を検討しようと思った。しかし、硫黄岳~横岳のコルでも身体が傾くような強風はなく、特別な問題なく横岳~赤岳を縦走できた。

硫黄岳山頂
横岳山頂
赤岳山頂

縦走路は夏休みの最盛期で、老若男女で非常に賑わっていた。山ガールの先端スタイルは、ホットパンツが熱いらしい。ミニスカート姿の女性もいて男性は目を奪われるかもしれない。権現岳への分岐から先は、一転して登山者はまばらになった。キレットに下るガレ場は、今山行中いちばん危険を感じた箇所で、落石に備えてヘルメットを着用したいところだった。赤岳周辺に比べると静かな山になっていたが、キレット小屋のテン場は、15張りほどで満杯状態だった。夕暮れ時、天狗尾根のシルエットが綺麗だった。

8月18日(日)晴れ時々曇り
キレット小屋(5:00)-権現岳(7:00~7:10)-編笠山(9:20~9:30)-富士見高原スキー場駐車場(14:00)

早朝キレット小屋を出発。快晴で、夏山の清々しい稜線の朝だった。権現岳山頂前の60段のはしごを通過すると、南側から登ってきている登山者で賑わってきた。権現岳の山頂を通過して青年小屋まで下りると、色とりどりのテントが張られていた。

編笠山山頂

縦走最後のピークの編笠山を登り返して、あとは長い道のりを駐車場まで無事に下山した。

(記 なべたけ)

夏山合宿A隊 種池~白馬鑓温泉分岐(八峰キレット・不帰キレット)

期 日:2019年8月10日(土)~8月13日(火)
参加者:Lそうべぇ、コバヤン、オヨシ、ヒー

8月10日(土)
橋本(4:30)=扇沢登山口(9:30~10:00)-柏原新道-種池山荘(14:00)

オヨシ宅に4時30分集合し、圏央道、中央道と繋ぎ扇沢登山口へと向かう。お盆休みの初日でもあり渋滞を気にした。案の定八王子JCTで渋滞に捕まった。B隊は5時に橋本駅を出発しているはずなので、渋滞情報を共有のためメールで配信した。渋滞は八王子JCT付近のみでその後は順調に扇沢登山口に到着した。扇沢駐車場の手前から車道の脇に登山客の車と思われる車列があり、駐車場を確保できるか心配したが登山口の真正面に1台分のスペースが空いていた。すかさずそこをキープする。反対側で女性が1人こちらを見ているとオヨシが察知する。この女性とはその後、柏原新道の登りでこの女性を追い越す際に声をかけられた。「ラッキーだったわね。3分ほど前にそこの場所が空いたのよ。私たちは、登山口から遠く離れた場所に止めなければならなかったので、羨ましくて見ていたの。」とのことだ。渋滞には遭ったがこれで帳消しだ。
10時丁度に登山口を出発。登山口には夏山相談所が開設されていて、登山客それぞれに計画書の提出の有無や行程の確認を行っていた。我々も行き先を告げ、先を急いだ。

柏原新道

柏原新道は歩き始めの1時間30分ほど傾斜がきつく大変だ。荷物が重いのか大汗をかき始めた。コバヤンも大汗をかいている。オヨシとヒーさんは涼し気に歩いている。年齢を理由にはしたくはないが、もしかしてそうなのかもしれない。日々の鍛練・準備不足であることは否めないだろう。2000mを越えたあたりからそうべぇのペースが落ちはじめた。経験をしたこともない大汗をかいている。まるで水をかぶったようだ。水分補給をしながらの行動であるが、補給が間に合わない。コバヤンもすごい汗だが、その大汗を笑い飛ばし快調そのものだ。3人から15分ほど遅れて種池山荘前に到着した。

種池山荘手前

そうべぇのこのバテ様では予定の冷池まではとても行けない。また猿倉までの行程に不安があるので3人に相談した。幾つかの案があがり相談の結果本日は種池で幕営し、明日11日の行程は五竜山荘まで行くことに決めた。

爺ヶ岳を臨む

決めれば早い。早速今夜の寝床の準備のため種池のテント場でテントを張り、山荘前で夕食の準備を開始する。同時に宴会もスタートする。ビールを山荘で購入し飲む。冷たいビールを飲むと少しずつ元気が出てきた。軽い熱中症だったのかな?そして夕食の「チリコンカン」で体調も回復してきたので少し安心した。明日は予定通り五竜山荘のテント場までは行けるだろう。18時に就寝した。メンバーを不安にさせてしまったことは反省しなければならない。

8月11日(日)
幕営地(3:30)-冷池山荘前(5:20~6:20)-布引山(7:15)-鹿島槍ヶ岳南峰(8:15)-キレット小屋(10:15)

起床は午前2時30分、風もなく山は静かであり、眩いばかりの星明り。今日の天気が約束されているようだった。朝食は冷池山荘前で摂ることにして、準備出来次第出発した。

夜明け前の出発

ヘッドランプを照らしながらまだ眠っている山々の陰影を眺めながら進む。爺ヶ岳の登りはゆっくりと歩を進めていく。先頭はオヨシ、続いてそうべぇ、ヒーさん、コバヤンの順だ。爺ヶ岳山頂は春合宿でB隊(爺ヶ岳東尾根隊)が踏んでいるので、今回は山頂を巻くことにして冷池山荘へと急いだ。午前4時、夜が明けはじめる。

夜明けの雲海

まさに「暁」とはこのことだろう、とても厳かである。雲海に沈む谷や里はまだ目覚めるには早すぎる。稜線上から眺める景色、雲海の果ては深紅からオレンジ色に徐々に移り、山が目覚める。私たちは歩くことも忘れ、その瞬間を見守った。実際の目で見る風景にはかなわないとわかっていても、カメラを構えシャッターを繰り返した。

冷池山荘と鹿島槍ヶ岳

冷池山荘前には5時20分到着した。2時間ほど歩いてきたので、朝食が恋しくなった。小屋前で朝食の準備をする。「パスタとスープ」だ。山でパスタを茹でるのは初めての経験であり、茹でた後のお湯をスープとしていただくのは妙案であった。山でパスタを食べたいと思っていたが、茹で汁の処理を考えるとどうしても躊躇してしまう。食担の工夫が感じられる。お腹も満たされ、朝の陽ざしをいっぱいに浴びながら布引山へと向かう。冷池山荘からしばらく登るとテント場がある。山荘からテント場までは5分ほどの距離。このテント場を利用する場合夜のトイレなどに多少の不便を感じるだろう。

晴天の空と立山連峰

布引山までの稜線歩きは楽しい。布引山からは鹿島槍ヶ岳の南峰と北峰が臨め、双耳峰の立派な山容だ。

布引山にて休憩

アップダウンを繰り返しながら鹿島槍ヶ岳南峰には8時15分に到着した。

鹿島槍ヶ岳山頂
鹿島槍ヶ岳からの稜線

しばらく展望を堪能し、これから向かう八峰キレットに思いを馳せ、ヘルメットを着用し気を引き締めた。

八峰キレットへ

キレットとは漢字では「切戸」と書き、山と山をつなぐ尾根が深く切り落ちている場所のことを言う。通常の尾根よりも細く断崖絶壁もあるキレットは、難易度も高く、岩登りの基本的な技術が必要な場所でもある。八峰キレットは鹿島槍ヶ岳南峰と五竜岳にある難所。キレット小屋から五竜岳までは長い岩稜帯の連続であり、鹿島槍ヶ岳南峰からキレット小屋までは特に難所とされ、特にルートを下りにとった場合は更に難易度が上がる。私たちは南から北に向かうルートを取っているので、慎重に行動しなければならなかった。

慎重にトラバースする

随所に鎖が張られているのでザイルを使うことはなかったが、鎖に頼りすぎると自分の体勢を見失ってしまうので、岩登りトレーニングや救助トレーニングなどで培った三点確保をしっかりと意識しながら通過した。メンバーとは岩登りトレーニングなどで一緒に練習をしているので、お互いの技量は把握している。この点では信頼関係はできていて、安心して行動を共にすることができた。

五竜岳を臨む
八峰キレットの核心部を通過

しかし高度感があるので常に緊張していた。(合宿後であるが、よほど緊張していたのか口内炎が随所にできていた。これはストレスだと思う。口内炎は4,5日で消えた。)キレット小屋には10時15分に到着した。鹿島槍ヶ岳南峰からの降りの緊張感がキレット小屋に到着しほっとした。
小屋で購入しコカ・コーラを飲む、これが実に美味い。実は昨日、種池山荘前でコバヤンがコカ・コーラを美味そうに飲んでいる光景がよみがえり、おもわず購入した。これが本当にうまいのだ。小屋前で休憩中に長野県警山岳パトロール隊員と会話をした。今日の行程が五竜山荘でテント泊の旨を伝えると、「これからの行動ではぎりぎり間に合うかもしれない。しかしテント場の確保が難しいだろう。夏山シーズンであり、人気の山なのでテント場は12時前後でほぼ満杯となる。夕方に到着の場合は山小屋になる事を覚悟したほうがいい。また、今日は発雷の可能性もあるので注意が必要だ。」などのアドバイスをいただいた。鹿島槍ヶ岳南峰からの降りでの緊張、ここから五竜岳へ向かう岩稜帯での緊張を続けることのリスクを考え、翌日の行程も唐松山荘前まで行ければ計画は遂行できると判断。また予備日もあるのでここは無理をせずにキレット小屋にて宿泊することにした。ここにはテントサイトが無いので小屋泊となる。小屋番に宿泊を依頼すると、予約が前提であるため宿泊については了解してもらったものの、案の定注意された。テントサイトが無い山小屋の場合、キャンセル前提で宿泊予約はすべきなのか。寝場所に案内され、明日からの計画を練り直した。小屋のビールは高いが、冷たくてうまい。お昼から続いた宴会は、夕食へと移り、18時には就寝した。

8月12日(月)
キレット小屋(4:10)-五竜岳(8:15)-五竜山荘(9:30)-唐松山荘(12:30)

2時30分起床。いびきや寝言が入り乱れ、寝た気がしない。他の宿泊客も起きはじめ、出発に向けて準備をはじめていた。テントをたたむ必要が無いので、出発にはそれほど手間がかからずに済んだ。4時10分にヘッドランプを点灯させ出発する。昨日の発雷の可能性については、夜中0時頃に遠雷が聞こえたのみだった。雨は降らなかったので岩も濡れていない。朝露に湿っているくらいだ。空には満点の星、今日も天気がよさそうだ。

八峰キレット後半へ

岩稜帯の登山道を進んでいく。昨日と同じように稜線上にて日の出を迎えた。

雲海と朝日
ご機嫌なコバヤン

光景は変わらないが、厳かであり何度見ても飽きのこない瞬間である。明るくなるにつれ進む先々、全容が視界に入ってくる。

五竜岳手前の岩稜帯

五竜岳もどっしりとした山容で構えている。五竜岳の登りが少し大変そうであるが、そんなに遠くは感じなかった。五竜岳山頂に8時15分到着した。

五竜岳山頂

山頂では携帯電話の電波が入ったので、B隊の状況などが気になるのでメールを確認した。入山2日目に隊員1名が体調不良により、ダイヤさんとともに下山したとの知らせがあった。親不知までは長丁場となるので、早々に判断ができて良かったと思う。

五竜岳からの稜線

しばらく展望を堪能し五竜山荘へと向かった。しかし、五竜岳はどっしりとしていて大きいなと感じた。山荘でコカ・コーラを飲む。味を覚えてしまったようだ。唐松岳山荘には12時には到着したいと思い、オヨシにテント場の確保のため、少々急いで歩くように指示したが、韋駄天のようにアッという間に目の前から消えてしまった。今までのゆっくり目のペースで抑えられていた気持ちの反動なのだろうか。または、テント場を確保しなければならないという使命感からなのだろうか。
ヒーさん、コバヤン、私の3人の順でゆっくりと進んでいく。コバヤンのかかとが気になった。両方の靴のかかとが「ぱかぱか」しているのだ。いわゆる、靴のかかと部分がはがれている。どれくらいもつのか心配になり大黒岳で休憩中に尋ねると、本人も自覚していた。唐松岳山荘前には12時30分に到着。オヨシは11時45分に到着し、テント設営場所を探していたとの事。唐松岳の無雪期テント場は、唐松岳山荘の北西斜面があてられる。私たちが設営した場所は、小屋から4,5分ほど下ったところだ。小屋との往復に難儀した。テント設営後明日の予定について確認を行った。コバヤンの靴のかかと剥がれが気になり、明日の行程に支障が無いかを検討した。コバヤンの申告により、大事に至る前に明日は八方尾根を下り、扇沢で車を回収し、猿倉まで迎えに行くという案が出た。予備日を使い天狗山荘前、または白馬鑓温泉にて幕営を考えていたが、この提案により、予備日を使わずに猿倉まで下山できるだろうと考えた。不要となる共同装備もコバヤンに預け、身軽になって不帰キレットを越えることができる。計画の変更をメンバーで了承し、行動に移した。18時には就寝した。

8月13日(火) そうべぇ、オヨシ、ヒー
幕営地(4:35)-唐松岳(4:55)-不帰キレット(6:55)-天狗ノ頭(9:10)-天狗山荘前(9:20~9:50)-白馬鑓温泉(11:30~11:50)-猿倉登山口(15:05)

2時30分ごろ、ごそごそと起きだす。朝食の準備に取掛りながら、一杯のコーヒーを飲む。共同装備としてツエルトの代わりにフライシートを持ち、その他縦走に不要な装備はコバヤンに渡した。キレット通過に荷物を軽くできることは大きなメリットとなる。テント場でコバヤンに見送られ、山荘前に向かう。山荘にて水の補給やその他出発の準備を整え4時35分に唐松岳山荘前を出発した。ここから唐松岳までは20分ほどの登りである。小屋泊の登山客であろうか、軽装で朝食前に日の出を迎えようとして山頂を目指しているのだろう。唐松岳山頂には4時55分到着。

唐松岳山頂
最終日の日の出

多くの登山客が日出を待ちこがれていた。私たちも、山頂からの景色をしばらく堪能した。朝陽が上りだすと剱岳が薄いピンク色に染まり始める。今日もいい天気だ。

立山連峰の目覚め

唐松岳山頂からは、これから進む行程が良く見渡せた。天狗ノ頭まではすぐそこにあるようにも見え、近いなと感じた。しかし、アップダウンを繰り返さなければならず、山々の斜面も切れ落ち厳しそうだ。通過には慎重に行動しなければならないと気を引き締めた。
不帰キレットは唐松岳から天狗ノ頭に至る尾根で、コースタイムも5時間ほどの長丁場となる。天狗ノ頭からの急坂「天狗の大下り」を降りた付近は不帰キレットと呼ばれている。

不帰キレット

難所は、これよりも南側の二峰と一峰の間付近が核心部となる。ほぼ垂直な崖を降りなければならないので慎重さが求められる。三峰、二峰と慎重に進んでいく。

二峰南峰

危険個所には鎖が張られているので、ザイルを出す必要はなかった。ただ、鎖を頼りすぎると自分の体勢が作れない危険性もあるので、頼りすぎないように注意する必要がある。一峰には6時55分到着した。

不帰キレット核心部
緊張感が続く

核心部が通過できたので一安心した。

ご機嫌なそうべぇ
不帰キレットを振り返る

不帰キレットから天狗ノ頭までは急登が続く。「天狗の大下り」と名前がついているだけに、危険ではないが登りは険しい。登りきると広い大地が目の前に広がった。

天狗の頭付近
冬に登った白馬鑓ヶ岳

コマクサの群生、トンボの群れ、風わたる大地を飛ぶトンボは涼しげであり優雅だ。天狗山荘には10分ほどで到着、水の補給をして休憩する。水は残雪から供給されているので冷たくておいしい。ここから先は危ない個所は無いので、気持ちも落ち着く。30分ほど休憩をして鑓温泉に向かった。

鑓温泉分岐

鑓温泉分岐からの急な下りは、南斜面であるため日差しも強く、高度が下がるにつれ気温も上昇し蒸し暑い。

鑓温泉前のお花畑

この状態で鑓温泉までの歩きは疲れた。鑓温泉は、こんなところ温泉が湧いているのかと思うような場所だ。宿泊客、テント泊している人たちは登山客というよりも、山屋ではなく、温泉を楽しみに来ているように見えた。温泉は露天であり丸見え、入浴している人たちは気持ちよさそうだ。もちろん内湯もあるそうだ。夏山シーズンではなく、冬か残雪の時期に温泉を目的で来てみたいと思った。メールを確認するとコバヤンはすでに車を回収したとの事。靴の状態や荷物の量を心配したが、無事に下山できて良かった。私たちも15時には猿倉に下山するとメールにて連絡を入れる。12時前に出発した。ここからの3時間が私にとっては非常につらかった。南側の斜面、気温の上昇、湿度の高さ、これらが体力を消耗させた。なんど弱音を吐いたか。オヨシ、ヒーさんは涼しい顔をして歩いている。悔しいが、これも現実でありしょうがないと諦める反面、体力づくりのトレーニングを怠ってはいけないと反省する。後日談ではあるが、オヨシは膝に痛みがあり、ハイペースでの下山で猿倉まではやはりしんどかったようだ。ポーカーフェイスであるため、気がつかなかった。涼しい顔で楽しんでいたのは、ヒーさんのみであったようだ。
15時5分に猿倉登山口に到着した。

猿倉登山口

バス停前の茶店にコバヤンを見つけた。再会と握手、メンバーの協力のもとに夏合宿を成功で終えたことに感謝した。

(記 そうべぇ)

8月13日(火) コバヤン(八方尾根下山)
幕営地(6:00)-八方池山荘(8:30)-ロープウェイ乗場(9:00)=扇沢駐車場(10:20)=猿倉山荘前(14:00)

メンバーを見送り、6時にテント場を出発した。靴のソールをテープにて補修し歩くが、途中で完全に剥がれた。何度もテーピングを繰り返し八方池山荘前まで無事に到着した。
八方文化会館前でタクシーを拾い扇沢駐車場に向かい、車を回収した。猿倉に向かう途中で大町薬師の湯にて汗を流し2時間ほどくつろぐことができた。くつろぎながらメンバーに心の中からエールを送った。13時に薬師の湯から猿倉に向かう。14時に猿倉に到着。そうべぇさんからは15時に到着するとのメールが入っていたので、どのくらいの誤差で到着するのか楽しみに待っていた。15時5分に再会、到着時間にほとんど誤差のないことに感心した。無事に再会できたことをみんなで喜んだ。

完登に乾杯

(記 コバヤン)

夏山合宿C隊 室堂~剱岳

期 日:2019年8月14日(水)~8月15日(木)
参加者:Lみの、おとっつあん

8月14日(水)晴れ時々曇り
信濃大町(7:00)=扇沢=黒部ダム=室堂(10:15)-剱御前小屋(12:25)-剱沢野営場(13:12)-テント設営(14:00)-剱岳(16:58)-テント(20:02)

8月13日、B隊として栂海新道を縦走して親不知に下山し、台風情報を確認すると16日に西日本を通過する予報なので、その前に下山する1泊2日に計画変更する。B隊帰路の車中で旅館予約を行い信濃大町駅徒歩3分にある竹の家旅館までB隊の車で送ってもらう。周辺の旅館2軒は満室でこの旅館だけ空室があったが普通に快適な宿だった。洗濯と風呂、食料装備の見直しを行い食事に出て養老の滝で腹を満たす。
14日6時起床、二人とも深刻な筋肉痛や疲労等の体調不良は無く行動開始とする。駅のコインロッカーに不要になった装備を預け、コンビニで用足しして駅前7時発のバスに乗車する。扇沢でトロリーバスに乗り換え、黒部ダムからケーブルカーとロープウェイ、更にトロリーバスを利用して大した混雑もなく楽々と室堂に到着する。暫く硫黄の臭いのするなか観光客に混じって遊歩道を歩く。おとっつあんは周辺のホテルで宿泊客がガス中毒事故に巻き込まれることを心配する。遊歩道は下り続けて登り返しをきつくする。雷鳥沢野営場を過ぎ丸太橋ならぬ角材橋を渡ると登りが始まる。冬に雪崩事故が発生したのはあの辺りだろうか?やがて剱御前小屋に到着し剣岳を仰ぐが早々に剱沢野営場に向かう。

剱沢野営場

風が吹き始めているのでテントの頂点にも細引きでガイライン追加するなど念入りにテント設営する。軽装で剱岳アタックに出発するが、時折強風が吹きテントが気になる。残された耐風手段はテントキーパーだが志願者はいない。一服剱の辺りまで数組の下山パーティとすれ違ったが、ついに人影はなくなり貸切り状態となる。おとっつあんが先頭を歩き前剱の岩場とルーファイを楽しむ。前剱を通過し緩くなった傾斜をつめて頂上の祠に到着する。

剱岳山頂

祠には剱岳と記入された木のプレートが何枚か置いてある。しかし先月登頂した時プレートの中には選んではいけないいわく付きのプレートがあると他パーティが話していたのを思い出し、ゲンを担いでプレート抜きで記念撮影する。日没も迫っているので下山を急ぐ。日没寸前に一服剱を通過し、剱山荘の手前でヘッドライトを点灯、剱沢小屋手前の立ち入り禁止の札と外国人に惑わされるも結局直進してテントに到着する。剱沢小屋は金庫を閉めてしまったため飲み物を購入できなかった。刻みたまねぎとささみ肉をフリーズドライカレーに混ぜてカレーパウダーで辛さを整えた食当おとっつあんのオリジナルカレーと、持参した飲み物で栄養補給する。10時半就寝。

8月15日(木)曇り
剱沢野営場(6:20)-剱御前小屋(7:00)-室堂(8:50)

ゆっくり朝寝坊する予定だったが、撤収するパーティの話し声に寝ていられず起床する。各自簡単に朝食を済ませて撤収する。風はどんどん強くなっているのに広い野営場には未だテントが残っている。剱御前小屋は雨戸を閉め、風で飛ばされそうな物を片付けて既に台風対策済だ。風が強まる中を室堂に急ぐが、驚いた事にこれから入山する単独登山者とすれ違う。風に投げ飛ばされたり、飛んできた小石が顔に当たったり、装備品を飛ばされたり、風は強敵だ。剱岳早月尾根番場島登山口には“試練と憧れ”の碑と観音様像、遭難者慰霊塔が訪れる登山者を出迎え戒めているが、観光地の室堂には無い。突然叫び声があがる。子供が風に煽られて遊歩道から1.5mほど転落して腰を曲げたり延ばしたりして斜面を転がり落ちてやっと止まる、幸い怪我は無かった模様で子供は泣きもせず親と並んで歩き出す。室堂9時15分発のトロリーバスで下山する。

(記 みの)

夏山合宿B隊 白馬岳~親不知海岸(栂海新道)

期 日:2019年8月10日(土)~8月13日(火)
参加者:Lダイヤ、こま、みの、りこ、おとっつあん

8月10日(土)晴
相模原(5:30)=栂池高原(10:30)=ゴンドラ・ロープウェイ乗継-栂池山荘(11:30)-白馬大池(14:50)

早朝相模原を出る、高速道路の混雑情報があり相模湖インターより入る。大きな混雑はなく順調に進む。栂池高原の駐車場に車を留め身支度を整えて出発。ゴンドラとロープウェイを乗り継いで標高1800mの自然園駅に30分ほどで上がれ便利である。1800mとはいえ日差しが強く暑い、少し歩くと汗が噴き出す。老若男女多くの下山者とすれ違いながらの登りである。雲で太陽が隠れるとほっとする、また時折吹いてくる風が心地よい。1時間ほどで銀嶺水、冷たい水がうまい。ほどなくして天狗原の湿地帯の木道である、水はほとんど溜まっていない、木道を過ぎてしばらくすると岩のゴロゴロした登りである、高度はどんどん上がる。りこが体力的に厳しいようである。雪渓を一か所通過して乗鞍岳、大きなケルンを過ぎると白馬大池のテント場が確認できる、すでにたくさん張られていて余地がないように見る。

白馬大池のテント場

テント設営の手続きをして場所を探すが適地がない、それでも何とか場所を確保して張ることにした寝心地は悪そうだ。設営後時間があったのでゆっくり過ごす、大池の良い眺めであるが日差しが強く暑い。
りこは食欲なく水分も十分取れていない状態、夕食も食べられないため体力的に縦走は無理と判断、明日はりこ除く4人は白馬岳まで登り、三国境から先の縦走は3人(Lみの、こま、おとっつあん)で繋ぐことに変更とする。

8月11日(日)快晴~晴
白馬大池(4:55)-三国境(7:20)-白馬岳(8:20~8:40)-三国境(9:05~9:30)-白馬大池(12:25~13:05)-栂池山荘(16:05)=栂池高原(17:00)

不調のりこは登れるところまでということで出発、快晴の中徐々に暑さが厳しくなる。途中遠くの槍ヶ岳まで眺めることができた。三国境でザックを置いて白馬岳へ、全員で登頂することができた。山頂で50周年記念の手ぬぐいを広げて記念撮影、ゆっくりした。

白馬岳山頂

三国境に戻り、親不知へと縦走するみの、こま、おとっつあんを見送り、よたに、りこは大池へ下る。時折ガスがかかり暑さをしのげる、テント場に戻りテント撤収し下山開始、3時間ほどでロープウェイ乗場に到着した。稜線は雲に覆われ天気が心配である。下山後、りこは電車で帰宅とした。

(その後のダイヤの行動は以下の通り)
11日:栂池高原駐車場にてテント泊
12日:車で親不知に移動し散策、道の駅にてテント泊
13日:尻高山まで登り三人(みの、こま、おとっつあん)を出迎える。暑い中大変だったと思います、日に焼けた顔が誇らしく見えた。一緒に親不知の海まで歩き50周年記念登山を日本海へとつなぐことができた。

(記 ダイヤ)

8月11日(日)快晴~晴
三国境(9:30)-雪倉岳避難小屋(11:00)-雪倉岳(11:58)-朝日岳分岐(14:40)-朝日小屋(16:21)

三国境に戻ると雪倉岳と朝日岳が目の前に並んでおり今日のルートが丸見えとなる、朝日小屋らしい赤い屋根も朝日岳のかなり左方に小さく見える、これは長丁場だ。今日下山することになった二人と別れ、がれた斜面を下る。

三国境からの登山道

朝日小屋へ向かうパーティは他に見当たらず静かな縦走路となる。雪倉岳を過ぎると暑さのため次第に無口になる。

雪倉岳山頂

朝日岳までの道のりは長く分岐点に到着してホッとする。小屋まであと30分くらいの地点の沢で我慢できずに水浴びが始まりなかなか終わらない。
ようやっと到着した朝日小屋のテント場は広く、キンキンに冷えた飲み物もあり水場も近い、小屋の近くの椅子とテーブルを借用して快適な夕餉のひと時を過ごす。

8月12日(月)晴れ
朝日小屋(6:03)-朝日岳(7:00)-黒岩山(11:12)-さわがに山(13:09)-水場分岐(14:00)-犬ケ岳(15:32)-栂海山荘(15:47)

今日の縦走路も長い、小屋のスタッフから水場の状況はすれ違う登山者から聞くようにアドバイスされる。朝日岳頂上で携帯電話が通話圏内になるもメール作成中に圏外となってしまう。

朝日岳山頂

朝日岳を下り蓮華温泉との分岐付近で栂海山荘からの最初の縦走者に会い水場情報を入手する。いよいよ栂海新道だ、開通後40年経過した新道はよく整備されており、やがて湿原地帯となるが立派な木道が敷いてある。
むしろ黒岩山から分かれるエスケープルートの中俣新道は草ぼうぼうで一人では歩きたくないくらい荒れていた。
今日も暑いが沢筋から吹き上げる冷風で一服する。スリリングなやせた稜線を何箇所か通過してさわがに山に到着する。水場の水流は細くちょろちょろブリキの板から落ちていて汲みやすくとても冷たい、水筒にためた水を頭に掛けてもらったおとっつあんは頭痛を訴える。水筒を満たし、ピークを更に二つ越えて犬ケ岳に至り、程なくして栂海山荘に到着する、テント場には3張りある(翌朝には8張りになっていた)、小屋には6名ほどと噂に反して空いている。

8月13日(火)晴れ
栂海山荘(4:14)-水場分岐(5:40)-白鳥小屋(8:04)-シキ割(9:28)-坂田峠(10:48)-尻高山(11:49)-国道(14:06)-親不知海岸(14:30)

今日も長旅だ、天空のトイレで用をたし、暑さに備えて早立ちする。今度の水場は落ち口がなく岩の上を薄く水が流れて汲みづらい、ビニール袋とかコップで汲んで水筒に移し変える必要がある。
白鳥小屋で朝食にする。シキ割の水場は落ち口が作ってあり時間はかかるが冷たい水が得られる。高齢のトレールランナーが追いついてくる、針の木から入山したそうだ。今日も暑い、私設エードステーションを期待(妄想)していた坂田峠は無人で一同へたり込む。尻高山でダイヤさんと感動の再会を果たし、ひたすら親不知海岸を目指す。

栂海新道にて合流

ようやっと国道沿いの駐車エリアにある登山口に到着して記念撮影。
車に荷物を残し、自動販売機で手に入れた冷えた飲み物を手にして海岸への階段を下る。

親不知海岸にて海水汲みの準備

海水を汲んで噂通りのロングルートをフィニッシュする。

 (記 みの)

烏帽子小屋~裏銀座~上高地

期 日:2019年8月9日(金)~8月12日(月)
参加者:レー子

8月9日(金)晴れ
七倉山荘=高瀬ダム(6:00)-ブナ立尾根取付き(6:27)-三角点(9:10)-タヌキ岩(9:20)-烏帽子小屋(10:36~10:52)-三ツ岳(12:33)-野口五郎小屋(14:08)

前夜23:00新宿発の毎日アルペン号に乗車する。バス乗り場には各方面に向かう登山者が大勢集まっており、行き先別に順次到着するバスにそれぞれ乗り込んで出発して行く。乗車予定のバスは七倉、扇沢で乗客を降ろしたあと、白馬方面に向かうと思っていたが、七倉までの乗客が多いため、大型バス1台が全員七倉行きとのことで、寝過ごす心配もなくなった。やや遅れて出発し、間もなく消灯となったが、途中3回もトイレ休憩があり、睡眠不足の状態で七倉に到着した。予定通り3時45分の到着のため辺りは真っ暗だったが、7月会山行で来ているので、トイレの場所など勝手が分かり助かった。高瀬ダムまでのタクシーは5時30分にゲートが開かないと入れないが、ゲートの前で出発準備をし、歩いて高瀬ダムに向かう人達もいた。
5時過ぎにタクシー数台が上がってきて、大勢の客を乗り合いで乗せて行くため、一人700円で高瀬ダムに行くことができた。
ダムから30分ほどトンネルや河原を歩くと北アルプス3大急登と言われるブナ立尾根の登りが始まる。朝から日差しは強かったが、しばらくは樹林帯のため急登とは言え、強い日差しの稜線歩きに比べると楽だった。ブナ立尾根には取付きが10番から烏帽子小屋が0まで途中に番号がふられており、2208.5mの三角点が4番で半分を過ぎたことに安堵する。多くの登山者は小屋泊りらしく小さなザックで登っており、テント泊のザックではペースは上がらない。脱水に注意してこまめに経口補水液を飲む。途中ですれ違ったパーティは一昨日ヒョウに降られ、低体温症になると思ったとのこと、こんなに暑いのに山の天気はやはり怖いなと思う。
ようやく烏帽子小屋に到着。烏帽子岳の山頂は省略して先を急ぐ。あとは急登もなく楽しい稜線歩きと思っていたが、雲ひとつない青空、11時を過ぎ暑さもピークとなり、睡眠不足の体にはひどくこたえる。三ツ岳への登りで70歳過ぎと思われるご夫婦とすれ違う。昨日奥黒部ヒュッテを出て12時間かけて読売新道を登り、今朝水晶小屋を出てブナ立をこれから下るとのこと。赤牛岳を眺めながら楽しそうに話してくれる二人を見ていると、諦めかけた読売新道も行けそうな気がしてきた。ただ、ご主人からはザックが大きすぎるよと最後に指導を受けた。
読売新道を眺めながら野口五郎小屋に向かうが、いつまで経っても小屋は見えない。過去の記憶では烏帽子小屋から野口五郎小屋はすぐだったはずだが・・・。途中走ってきた烏帽子小屋で働く青年に追い越され、野口五郎小屋で用事を済ませて戻る彼と再び出会った時、あと1時間あれば着きますよ、と言われ愕然とした。それでもなんとか1時間かからず小屋にたどり着くことができた。
以前来たときは小屋の前がテント場で幕営できたが、テントが風で飛ばされるなど事故も多いことから国に返還したとのこと、今見ると大岩がゴロゴロしており、とてもテントを張れるような場所ではない。しばらく小屋の外でのんびりしながら、小屋の方や救助隊の方と話をしたが、やはり一昨日はこの辺り一帯でヒョウが降ったとのこと、小屋の周りの写真も見せてもらったが、地面が隠れるくらい積もっていた。
テントの装備を背負っているが、幕営禁止のため本日は慣れない小屋泊り。食糧、燃料の装備を減らそうと夕食付で予約しておいた。平日と言うこともあってか小屋は空いていて、女性部屋はもう一人の単独の女の子と二人きりでゆったりできた。睡眠不足を解消するため早々に寝る。

8月10日(土)晴れ
野口五郎小屋(4:30)-野口五郎岳(4:50~4:57)-真砂分岐(5:33)-東沢乗越(6:48)-水晶小屋(7:50~8:00)-ワリモ岳分岐(8:34)-ワリモ岳(8:57)-鷲羽岳(9:40~9:52)-三俣山荘(10:45~10:55)-三俣峠(11:40)-三俣蓮華岳(12:03~12:10)-双六岳(13:35~13:409-双六小屋(14:30)

今日は何とか双六まで行きたいと、薄暗い中出発。野口五郎岳では任務の写真を撮らなければならないが、ちょうど相部屋の女の子がおり、記念手ぬぐいとともに写してもらう。

野口五郎岳山頂

水晶小屋までは人も少なく槍や赤牛岳、昨年行った薬師岳、剣岳など眺めながら、北アルプスの中心にいることを実感する。昨年秋、湯俣の橋が流され竹村新道は通行止めとなっていたが、昨日野口五郎小屋の情報では、橋の修復で昨日から通行可能になったとのことで、竹村新道の分岐には特に何の記載もなかった。水晶小屋まで来るといっきに人が増えた。山頂を往復すると1時間かかるため、次回読売新道まで取っておくことにして先を急ぐ。以前来たときは鷲羽岳に登らず雲ノ平に向かったため、今回は必ず鷲羽のピークを踏まなければならない。暑さ厳しくなりピッチは上がらないが、ようやく山頂に立つことができた。

鷲羽岳

こんなにそそり立つ険しい山なのに野口五郎岳より0.1m低いなんて。山頂からは三俣山荘のテント場がよく見える。まだ10時なのにたくさんのテントが張られている。三俣山荘で水を補給し三俣蓮華岳の山頂を目指す。過去に双六小屋ベースで山スキーに2回来ているが、黒部源流を滑りベースに戻ってもそれほど時間はかからなかったと記憶しており、三俣蓮華の山頂から眺める双六はすぐそこ、と思い歩き始める。

三俣蓮華岳

しかし緩やかな稜線にもかかわらず、暑い、重い。やはりスキーの機動力はすごいな、双六に来るなら山スキーしかない、などと考えながら苦行に耐える。山頂への最後の登りでライチョウの親子に遭遇。人が多すぎるためか、今回の山行でライチョウを見たのはこの時1回だけだ。

双六岳

ようやく双六岳山頂に到着し、記念撮影を済ませると、テント場が混まないうちにと急いで下る。だいぶ足にも疲れが溜まり、途中のザレで滑って後ろに転んだ際、ストックがザックの下敷きになり途中で折れてしまった。締める位置をずらして使用は可能だったが、こんなに簡単に折れてしまうのかとちょっと残念。14時30分、双六小屋到着。広いテント場だが、すでにテントはいっぱい。なんとか隙間を見つけてテントを張る。その後も薄暗くなるまで続々と到着し、条件の悪そうなところにも張っている。野口五郎小屋では小屋の外で立山方面を向くとスマホが使えたが、双六小屋では全く使用できず、台風10号の位置が分からないが、昨日の台風情報からするとなんとか下山まで天気は持ちそうだ。

8月11日(日)晴れ
双六小屋(4:40)-樅沢岳(5:13~5:26)-硫黄乗越(5:57)-左股乗越(6:49)-千丈沢乗越(8:13~8:20)-槍ヶ岳山荘(9:30)-山頂往復(9:55~11:10)-槍ヶ岳山荘(11:20)-殺生ヒュッテ(11:49)-播隆窟(12:03~12:13)-天狗原分岐(13:00)-大曲(13:35)-ババ平(14:00~14:10)-槍沢ロッジ(14:39~14:45)-二ノ俣(15:05)-一ノ俣(15:13)-横尾(16:01)

風もない静かな夜だった。空には満天の星。槍の肩まで行けば今回の山行は終わったようなもの、あと一頑張りと今日も薄暗い中を出発。初めての西鎌尾根、ずっと槍を眺めながらの稜線歩き、徐々に槍が大きくなってくる。千丈沢乗越の手前に何ヶ所か鎖場があるが、特に危険な場所はない。ただ歩きなれない登山者が下りで石を落とす場面があり、人為的な落石には注意が必要だ。
千丈沢乗越からは飛騨沢がよく見える。以前春合宿で志木さんと二人、飛騨乗越までの急な登りを帰りは楽しく滑ったことを思い出す。緩やかな稜線歩きからいきなり急な登りが始まる。富士山の九合五勺からの登りのようにピッチが上がらない。コースタイムでは2時間となっているが、なんとか1時間10分で肩までたどり着くことができた。小屋の周りは大勢の人で西鎌尾根とは別世界。山頂まではまだ渋滞していないようなので、休憩もそこそこに山頂に向かう。槍の山頂はヘルメット着用推奨で強制ではない。ここだけのために持ってくるのも荷物になるので持参しなかったが、石を落とされても困るので小屋で500円支払ってレンタルのヘルメットを借りた。登り始めると渋滞が始まり、結局登って降りるのに50分かかったが、山頂は快晴で360度の展望を楽しむことができた。

槍ヶ岳

小屋にヘルメットを返しに行くと、槍ヶ岳山荘のテント場は本日満席と書かれていた。計画では本日殺生ヒュッテ幕営としていたが、時間的に早いためババ平まで降りることとして下山を開始。登ってくるテント泊と思われる人には、上はもう一杯ですよと声を掛けながら下った。殺生ヒュッテのテント場はまだ余裕があったが、幕営予定のババ平は幕営禁止と書かれている河原までぎっしりテントが張られており、あきらめて横尾を目指すこととする。この時間になってもまだ登ってくる人が多く、今日はどこまで行くのかと心配になってくる。槍沢ロッジの前もあふれるほど人がいて、ゆっくり休むこともできない。やっぱり夏は沢だな、とつぶやきながら横尾に向かうが、3日間の疲れが溜まってピッチが上がらない。16時横尾到着、長い1日だった。横尾のテント場も混んでいるが、それでもまだ双六やババ平に比べれば、まだまだ余裕がある。ここは登山者よりもキャンプ目的で来ている家族連れが多い印象で、幕営地と言うより水もトイレもビールも豊富なキャンプ場。最後の夜を楽しもうと思ったが、ひとりのテントはすることもなく、疲れも手伝って早々に寝てしまった。

8月12日(月)晴れ
横尾(5:00)-徳沢(5:55~6:05)-明神(6:48~6:55)-上高地(7:37)

上高地はすぐそこ、最後の歩きをのんびり楽しめば良いのに、なんだか早く帰りたくなって5時に出発。徳沢のテント場もにぎわっていた。まだ7時30分だというのに河童橋には多くの観光客や登山者がいた。

上高地

お風呂に入りたいが小梨平のお風呂はまだ営業しておらず、上高地温泉に向かったが、五千尺ロッジの入口に貼られた入浴案内では結構距離があるようだ。いちばん近いのがバスターミナル横にある上高地インフォメーションセンター内のコインシャワーだと分かりバスセンターに向かう。きれいな施設で朝早いこともあり誰もおらず快適。はじめに施設使用料100円を支払い、お湯は3分で100円。6分200円で4日間の汚れをきれいに落とすことができた。お土産を見る暇もなく新島々行きのバスに乗り帰路に就く。4日間好天に恵まれ、雨具を着ることもなく裏銀座を楽しむことができた。

(記 レー子)

三頭山~峰谷橋

期 日:2019年8月1日(木)
参加者:Lコーノ、かじさか、りこ、メイメイ、りっこ

8月1日(木)
都民の森(9:30)-鞘口峠(10:00)-三頭山東峰(11:20)―三頭山中央峰(11:30)-三頭山西峰)(11:40~12:00)-ヌカザス山(13:30)-三頭橋(15:15~30)-峰谷橋駐車場(16:10)-峰谷バス停(17:00)

かじさか車を峰谷橋駐車場に置き、全員コーノ車で都民の森駐車場に向かった。都民の森を賑やかに出発したが、暑さと湿気によって、皆だんだん無口になってくる。鞘口峠を通過し、三頭山への登りが、以前晩秋に登った時と比べてけた違いにきつい。やっとの思いで三頭山東峰に到着するも、ブヨなどの虫がたかってくるので、のんびり休めずに先に進む。三頭山中央峰を通過し、立派な石造りの標識のある三頭山西峰で大休止とする。

三頭山山頂

ここでも虫がいっぱい襲い掛かってきて、かじさかさん持参の虫除けスプレーをかけてもらったりし、虫を何とかしのぐ。防虫ネットを被っている他パーティの登山者もいて、夏山の虫対策への準備不足を痛感した。
虫に追われるように、三頭山西峰から奥多摩湖に向かって出発したが、ここでルートを間違えてしまった。鶴峠に向かい、直ぐに分岐があるはずなのだが、なかなか分岐が出てこないので間違えに気が付き、三頭山西峰に登り直した。本来のルートへの分岐には道標等は全くないので、注意が必要である。気を取り直してヌカザス山に向かったが、遠くに雷鳴が聞こえ始めてきて、相変わらず虫の襲来も止まないこともあり、下りとはいえ、身も心もひどく疲れる。
ヌカザス山に差し掛かった時に、ついに、近くで雷鳴がとどろいた。そして、ムロクボ尾根を下りだし時に、急に雷雨の中に突入することとなった。不思議なことに、今まで沢山いた虫達は避難したのか1匹もいなくなってしまった。落雷による最悪の事態を防ぐために、メンバー間の距離を多く取って歩いた。林の中で木々の葉や枝のクッションがあるため、雨が直接降りかからないのは良いのだか、ロープが設置されているほど急な尾根の下りは厳しかった。奥多摩湖が見え始めても、なかなか下りは終わらない。雷雨も去り、薄日が出てきた頃に、やっと三頭橋近くの車道に降り立った。
ここから、車道歩きとなる。歩道が無い区間も多く、スピードを出す車の脇を冷や冷やしながら通過し、やっとかじさか車が待つ峰谷橋駐車場に到着した。ここで荷物を車に積んで身軽になって、コーノ、りこで峰谷バス停へ早歩きで歩いて、山行を終了した。

峰谷バス停

この後、コーノ車の置いてある都民の森に行ったが、都民の森の駐車場が閉鎖される間際となり、危ういところだった。事前情報入手が不十分など、反省点の多い山行であった。そして、決して楽なコースではなかった、と参加者皆が感じた。

(記 コーノ)