タグ別アーカイブ: 後立山連峰

<地理>飛騨山脈(北アルプス)の三俣蓮華岳から北東部
<主要な山>白馬岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、爺ヶ岳、針ノ木岳

2024年春山合宿 北アルプス後立山連峰

爺ヶ岳(東尾根)~鹿島槍ヶ岳(赤岩尾根)記録:岩沢氷

 

5/2 前日は雨、3月の東尾根の取り付きの急登を思い返し藪と泥のスタートが容易に想像され、気持ちが沈む。麻呂さんと合流し装備を整えスタート。急登は踏み跡もあり、心配していた泥濘も無く思ったほど悪くない。尾根に乗るまでは笹藪メインでさほど苦もなく登ることができた。尾根からは植生が少し変わり石楠花が多くなってくる。枝の抵抗が強く思うように体を押し進められず、体力気力が徐々に削られていく。途中で悪そうな大株を避けるため笹藪に足を踏み入れたところ滑ってしまい3m程滑落。太い枝を保持していたため冷静に体勢を整えることができた。

過去の記録からジャンクションピークを越えれば雪が出てくるだろうと見当を付けていたが、どこまで進んでも雪は無くひたすら藪を進む。リーダーが凄まじい馬力とルートファインで藪を突破していく。
親熊の後を追う子熊の如く必死でついていく。ナイフリッジは既に消失し、木の枝・根を歩く状態であった。夕刻となり、幕営地が決まった時は心の底から安堵した。

5/3  3時起床、体が重い。藪漕ぎスタートかと思いきや急登スタートであった。藪でないだけ有難いとは思ったものの、昨日の疲労もあり思うように足が上がらない。それでも快晴微風のコンディションであったため絶景を楽しみながら登ることができた。

爺ヶ岳からは一般道、疲れを忘れ楽しく歩く。冷池山荘で森さん、國井さんと別れ鹿島槍へ。山頂まで体力的に行けないのではと不安が過ったが、リーダーのフォローのお陰で登頂することができた。山頂での休憩中に落石や雪崩、山肌が崩れる音が幾度と無く聞こえ、山が動いていることを実感した。

冷池山荘に戻り乾杯となったが、どうにも胃が受け付けない。ひたすら水を飲み、おんちゃんから頂いた海苔の佃煮を少し口にすると食欲が出てきた。シュラフはおんちゃんが山荘の屋根で干して下さっていたため暖かくゆっくり休むことができた。

5/4  今回の山行で個人的に一番の不安であったトラバースと対峙する。トラバースは下調べにて1箇所であると思い込んでいたが、実際は3箇所あった。頭上にはクラックが入った場所もあり、1人ずつ距離を空けて通過。ステップがしっかりあり、アックスの効きも良かったので落ち着いて渡ることができた。雪が緩めば滑落や崩落のリスクが格段に上がるのだろう、残雪期の難しさを感じた。

トラバースを過ぎればサクサク…と思っていたが、右爪先に鋭い痛みが走るようになり徐々に歩行がヨレ始めた。靴を調整したりテープを巻いてみたが歩行バランスが悪いため諦めてペースを落とす。ふと視線を上げると新緑が眩しく、正に「山笑う」である。途中、麻呂さんが様子を見に戻ってきて下さったりおんちゃんが林道を付き添って下さったり、車をリーダーが取りに行って下さったりと多くのフォローがあり無事下山することができた。反省点は多々あるが、最高に楽しい合宿であった。

 

S__6537388振り返っても道の無い爺ヶ岳東尾根

S__6537390翌朝、1発目の急登だが、振り返るとそこは絶景

S__6537392雷鳥にもたくさん会いました!

S__6537394鹿島槍ヶ岳山頂

S__6537396天上の宴会場

S__6537398奈落へのトラバース(赤岩尾根

S__6537400無事下山しました!

みなさん、お疲れ様でした♪

白馬岳主稜

期 日:2023年3月11日~12日
参加者:Lなべたけ、しげちゃん、おんちゃん

3月11日(土)快晴
二股(7:15)-猿倉(9:00)-白馬尻(10:55)-幕営地(14:10)

2022年末の冬合宿(槍ヶ岳中崎尾根)の下山後、温泉から帰る時「次はどこの山に登るか」が話題に上った。百名山ハンターの私はいくつか未踏の山の名を上げたと記憶しているが、なべたけさんからは、「白馬岳主稜とか良いですよね。3月末辺りの雪が安定している時期に」と具体的な山の名前だけでなく、「主稜」という具体的なルート名を示された。白馬主稜といえば、山岳会に入る前に独学でバリエーションルートをやり始めた頃に「いつかは登ってみたいルート」として、心に思い描いたことがあるルートである。あの頃は、夢でしかなかったが今の自分たちなら、なべたけさんとなら行けるかも知れない。とはいえ、冬山のバリエーションルートは様々な条件が整わなければ行けるものでは無い。その時は「行けたらいいですね」と心のどこかに行けるわけはないという思いを残しながらの返事であった。2月に入り、毎週月曜日のクライミングジムで行われるリード、ビレイなどの岩登りの練習にも慣れて来た頃、なべたけさんから「そういえば白馬主稜はどうでしょう?」と再度オファーを受けた。「自分の今の技量で行けるのか?」と不安もよぎったが思わず「行きましょう!」と返事をしてしまっていた。

具体的に日程は週末、3月11日土曜日と12日日曜日の一泊二日で決定した。そこからは、ほぼ毎日白馬岳の天気予報と雪崩ネットワークのサイトと睨めっこである。積雪量はどうか?どのような間隔で雪が降っているかなど現地にいなくてもある程度の想像はできる。どんな雪が降ると雪崩ネットワークで雪崩確率が上がるのかを中心に情報を収集した。暁山岳会での雪崩のスペシャリストは、山スキーを毎年楽しむレー子さんである。レー子さんには、「3月の白馬岳は雪崩の巣。私なら行かない」と指摘を受けたが、あくまで「天候が安定し、雪崩の危険を最大限回避して危険が伴う際は山頂を目指さない」と約束して入山した。雪崩ネットワークは毎朝5時に更新ということだが、実際には6時ごろに最新版の情報が更新されるので、それも確認してからの入山とした。

あいにく前日に雪は降ったが量はあまり多くなく、雪崩ネットワークも要注意程度で、比較的安定していることを確認し、登山口へ向かった。登山口ではネット環境が手に入らないことを危惧したものだ。(その分出発が遅くなったことで、レー子さんからは「冬は早出早立ちが基本よ」と窘められた)
登山口は猿倉山荘までが通行止めであったため、手前の発電所付近駐車スペースに駐車したが、バックカントリーの登山客でほぼ満車であった。ネット環境も確保できたので、ここで情報収集しても良かったかもしれない。(ここまで雪なし)

二股登山口

なんとかスペースを確保し、7時15分頃に登山開始。林道は次第に雪が目立つようになってきた。路肩の斜面に張り付いていた雪は崩落し、林道にまではみ出しているものもあった。猿倉小屋まで2時間ほど歩いて到着。途中下山してくるスキーヤーにすれちがった。前夜山で過ごしたのか、朝から軽く登っただけなのかは不明だが、自分たちが出遅れていることを感じた。朝飯で一息入れてから、雪崩危険箇所については立ち止まらずにスムーズに通り抜けること。前後の間隔を空けて複数人の雪崩遭難を避けること。などを確認し手先へ進む。
白馬尻付近の沢に入るとまるでラッセル車が通過した後のような、雪崩痕の脇を抜ける。出会う沢は皆雪崩が合流している様に見える。快晴であること、足元の雪を踏めばまだしっかりと締まっている事から、緊張しながらも快適に先へ進むことができた。

白馬尻の雪崩痕

白馬尻には11時前に到着。いよいよ主稜への取り付きである。ソロの先行者があり、踏み跡に迷いはない。我々より1時間ほど先行しているので、安心して歩を進められた。がしかし、ここからの急登は、これまでがほぼ林道歩きだったために一気に疲労感が出てくる。少し残る樹林を巻き、尾根を目指す。尾根に上がる最後の急登を前にして、ふと顔を上げると先行者が下山してくる。話しかけてみると「この先踏み抜きで胸まで落ちた。危険と判断して下山」とのこと。午後に入り、雪もだいぶ緩んできているようだ。ここまでトップを歩かせてもらったが、この先の踏み跡も期待できず、踏み抜きもあり得るとなるとここは経験豊富ななべたけさんとトップを交代して、先に進んだ。ここから先は、幕営適地も探さなければならない。心配していた踏み抜きは、先行者が落ちた箇所のみで、無事に稜線まで上がれたが、その先は狭い稜線が続くので本日の幕営地を白馬主稜末端部の稜線上とした。時刻は14時過ぎ。

狭い幕営地

テントを設営していると近隣で雪崩音。音が山に反射してしまい、雪崩箇所は特定できなかったが、緊張感を途切れさせないのには十分であった。幕営地は、あまり広いスペースは取れなかった。両サイド切れ落ち、酒に酔ってトイレに行った拍子に滑落してしまいそうだ。今回の山行では、宴会を目的とはしなかったので、酒はそれぞれ軽く口に含む程度にした。食事後に今日が私の誕生日であることをおんちゃんが思い出し、なべたけさんとおんちゃんでバースディソングを歌ってくれた。記憶に残る誕生日となりました。様々な過去の話をしながら、泥酔滑落もなく19時前には就寝した。

3月12日(日)快晴
幕営地(3:30)-白馬岳(10:55)-白馬尻(13:30)-猿倉(14:35)-二股(16:30)

翌朝は2時起床。稜線上ではろくに食事も摂れないので、朝からテント内でしっかりと食べた。3時30分にはテントを撤収し、暗闇の中ビーコンのスイッチを入れる。風もなく空には月が明るく、星も綺麗だ。今日も天候は安定してそうだ。稜線では、経験豊富ななべたけさんをトップに、私が殿を務める形でおんちゃんを間に挟んだ。先行者は昨日敗退したが、全体的に一昨日のトレースが残っており、快適な稜線歩きであったが、途中吹き溜まりではラッセルもあり、なべたけさんに負担が大きくなると考えてトップと殿を交代したが、残念ながら私がビビってしまいあまり長くは続かなかった。

夜中の稜線歩き

このまますんなりと山頂まで上がれるかとも思ったが、白馬の雪形の岩場付近で岩雪ミックスの箇所があり、もう一箇所は山頂直下の詰め上げでロープを出した。スノーバーで確保しつつ、二番手おんちゃんはプルージックで上がった。

少し休憩

白馬主稜名物の巨大雪庇は今年は全くなく、最後3m程度詰め上げるだけで、あっさりと午前11時に山頂へ躍り出た。山頂には誰もおらず、冬特有の貸切の山頂を堪能した。相対する剱岳の毒々しさと立山の優美さがとても印象に残った。やり遂げた満足感で、おんちゃんはサングラス越しに感極まっているのを感じた。

白馬岳山頂

白馬山荘で風を避けて昼食をとり、いよいよ下山は白馬の大雪渓である。下山時は、沢の出会いに注意して、横からの雪崩にも十分注意し、時折自身の上方の雪の状態を確認しながら下山する様になべたけさんから指導されながら、一目散に下山した。昨日に引き続き今日も気温は高く、白馬尻までは気が気ではなかった。また、雪が緩みアイゼンに大きくまとわりつく。スリップすれば、大雪渓をシリセードかと思うとヒヤヒヤでした。降って行くと、白馬尻の手前で昨日には見えなかった雪崩痕を発見。恐らく昨夜の幕営地の隣の沢が落ちたもののようだ。デブリは1mほどのものもあり、改めて雪崩に恐怖した。

猿倉山荘へ戻ったのは、14時30分。昨日の行きとは雪の状態がだいぶ緩み、踏み抜き多く、既に体はヘロヘロであったが、お互いに励まし合いながら16時30分に登山口まで下山。林道では多くの山スキーヤーに追い越された。追い越しの際に声をかけてくれると助かるのだが、声もかけずに音もなく後方から追い抜いていくスキーヤーには辟易した。一度は危うく接触しそうになった。林道で雪が減り、少しでも長くスキーで降りたい気持ちはわかるし、斜度の弱い林道ではなるべく止まりたくないのもわかるが、声は掛けて欲しいものだ。

下山後は、麓で温泉に浸かって二日間頑張ってくれたカラダを労った。最後になりますが、安定したリードで終始落ち着いて先導してくれたなべたけさん、文句も言わずに力強く登ったおんちゃん。相模原から見守ってくれた見守り隊の皆様のおかげで安心して行ってくることができました。ありがとうございます。また、雪山について忌憚のないご意見やアドバイスを頂いたレジェンドよっしーさんやレー子さんにもとても参考になりました。ありがとうございました。

(記 しげちゃん)

室堂~針ノ木峠

期 日:2019年9月13日(金)~9月15日(日)
参加者:みの  

9月13日(金)
室堂ターミナル(9:55)-一ノ越山荘(10:40)-獅子岳(13:00)-ザラ峠(13:53)-五色ヶ原山荘(14:33)-五色ヶ原キャンプ場(14:44)

台風のため断念した夏合宿ルートを少しアレンジしてトレースした。
12日は仕事後に富山に向かい駅周辺のホテルに宿泊する。13日(金)は平日だが立山黒部アルペンルートに閑古鳥は鳴かない。電鉄富山で片道切符を購入し7:04発に乗る、乗客は通学する高校生が多い。立山駅で予約したケーブルカーまで20分ほど待って美女平に到着。すぐにバスに乗り有名な滝を観たり転寝したりしているうちに室堂に到着。夏合宿では信濃大町-扇沢-室堂を往復利用したので立山黒部アルペンルートは完全制覇だ。一ノ越から先は数名の縦走者が前後する。

ザラ峠

浄土山との合流地点からは五色ヶ原を遠望できる。清々しい天気に恵まれ難なく五色ヶ原に到着し、小屋で受付と飲み物購入、キャンプ場に向かう。テントは夜には20張り程になる。夕暮れ時の山々が赤く染まって美しい。

9月14日(土)
幕営地(5:50)-刈安峠(7:13)-平の小屋(8:15)-渡船(10:00)-避難小屋(10:29)-南沢出合(10:54)-船窪岳分岐(13:04)-針ノ木沢出合(13:30)-針ノ木小屋(16:04)-平坦地(16:20)

シュラフカバーだけで過ごした夜はとても寒く着られる物を全て着込んで耐える。体温を蓄えて温まったシュラフマットは就寝中の背中を守ってくれて助かる。夜12時過ぎに静かに行動開始するタフな女性単独行者がいた。テント場のトイレは防犯灯が付いていて照明が自動点燈する便利仕様だ。少し経つと自動消灯するが体を動かせば再点灯してくれる。テントを乾かしてゆっくり出立するも平の渡しを1時間以上待つ。

平の小屋

平の小屋の飼い犬(黒柴)は飢えていて休憩していた登山客の隙をついてローストビーフを盗み食う。
渡船に案内はなく、釣り人の話すとおりに勝手に無人の船に乗りこんで待つと、船員は別の船で現われ定刻10時に出発する。乗船者は2人が奥黒部ヒュッテ行で、その他5名は釣り人だ。針ノ木谷は船窪乗越しへの分岐までは新しい赤布とペイントが案内してくれる。しかし分岐を過ぎると不明瞭な踏み跡と何十年も経過しかすれたペイントが目印となる。渡渉も幾度かあり飛び石が無いため靴を濡らす。針ノ木沢出合までに計3名の単独行者とすれ違う。先頭は外国人女性でキチンと下調べしてきたらしく地下足袋を履いていた。地下足袋を指差しグッドチョイス、ツーモアクロッシングゼアーと話すとアリガトサンネーと笑顔の英会話。針ノ木沢出合で休んでいると突然男女2人組が現れお互い驚く、初老の男性は針ノ木峠から船窪岳への近道を選んだと語るが、若い女性をしごく罰ゲームにしか思えない。そこから先も踏み跡が薄く小一時間ほど沢歩きとなる。二股を過ぎて水が枯れると踏み跡が濃くなり針ノ木峠の手前だけ整備されている。針ノ木峠への到着タイムは前回(26年位前)より20分遅いだけで進歩と退化の変化は無い。受付に行くと小屋もテント場も超満員で暫く登って平坦地を探してビバーク(有料)せよとのこと。缶ビールは売り切れて生ビールのみの販売なので、仕方なく大ジョッキで頂く。泡をすり切ってなみなみ注いでくれてとても嬉しい。よく冷えたビールを一気に飲み干すとテン場探しの登りは苦にならない。
(駅前旅館の話によると針の木小屋は昨日300人収容、断られて下山した人もいたらしい)
  
9月15日(日)
幕営地(6:43)-針ノ木小屋(6:55)-大沢小屋(9:05)-扇沢(9:43)=信濃大町駅

順応力とは便利なもので昨夜の寒さに体が慣れてしまったせいか寒さをそれ程感じず熟睡する。キャンパーのマナーも良く朝の出立も静かだ。テントから頭を出して東の空が赤く染まり広がるさまを眺める。ゆっくり支度して針ノ木峠を後にする。

針ノ木峠

雪渓はノド付近に一部残るだけで跡形も無く消失しておりアイゼンの出番は無い。今年は5月の山スキーと7月の会山行で2回雪渓を通過しているが遠い昔のことの様に思える。ノドの下で休憩していると昇りの男女2人組から「ここに雪渓ってあったのですか?」と聞かれ、ここから見えないけどあそこにあるよと上部を指差すと2人は満足げに頷く。無造作に河原を歩いていたところ足を滑らし大転倒するが幸い怪我はなかった。気を引き締めて下る。営業終了した大沢小屋の先を右に曲がり鉄パイプの橋を渡り、雑草の生えた道を辿って扇沢ターミナルに到着、10分後発のバスに乗る。駅前旅館の七倉荘でお風呂を利用、井筒ワインをお供にして帰路に着く。

(記 みの)

夏山合宿A隊 種池~白馬鑓温泉分岐(八峰キレット・不帰キレット)

期 日:2019年8月10日(土)~8月13日(火)
参加者:Lそうべぇ、コバヤン、オヨシ、ヒー

8月10日(土)
橋本(4:30)=扇沢登山口(9:30~10:00)-柏原新道-種池山荘(14:00)

オヨシ宅に4時30分集合し、圏央道、中央道と繋ぎ扇沢登山口へと向かう。お盆休みの初日でもあり渋滞を気にした。案の定八王子JCTで渋滞に捕まった。B隊は5時に橋本駅を出発しているはずなので、渋滞情報を共有のためメールで配信した。渋滞は八王子JCT付近のみでその後は順調に扇沢登山口に到着した。扇沢駐車場の手前から車道の脇に登山客の車と思われる車列があり、駐車場を確保できるか心配したが登山口の真正面に1台分のスペースが空いていた。すかさずそこをキープする。反対側で女性が1人こちらを見ているとオヨシが察知する。この女性とはその後、柏原新道の登りでこの女性を追い越す際に声をかけられた。「ラッキーだったわね。3分ほど前にそこの場所が空いたのよ。私たちは、登山口から遠く離れた場所に止めなければならなかったので、羨ましくて見ていたの。」とのことだ。渋滞には遭ったがこれで帳消しだ。
10時丁度に登山口を出発。登山口には夏山相談所が開設されていて、登山客それぞれに計画書の提出の有無や行程の確認を行っていた。我々も行き先を告げ、先を急いだ。

柏原新道

柏原新道は歩き始めの1時間30分ほど傾斜がきつく大変だ。荷物が重いのか大汗をかき始めた。コバヤンも大汗をかいている。オヨシとヒーさんは涼し気に歩いている。年齢を理由にはしたくはないが、もしかしてそうなのかもしれない。日々の鍛練・準備不足であることは否めないだろう。2000mを越えたあたりからそうべぇのペースが落ちはじめた。経験をしたこともない大汗をかいている。まるで水をかぶったようだ。水分補給をしながらの行動であるが、補給が間に合わない。コバヤンもすごい汗だが、その大汗を笑い飛ばし快調そのものだ。3人から15分ほど遅れて種池山荘前に到着した。

種池山荘手前

そうべぇのこのバテ様では予定の冷池まではとても行けない。また猿倉までの行程に不安があるので3人に相談した。幾つかの案があがり相談の結果本日は種池で幕営し、明日11日の行程は五竜山荘まで行くことに決めた。

爺ヶ岳を臨む

決めれば早い。早速今夜の寝床の準備のため種池のテント場でテントを張り、山荘前で夕食の準備を開始する。同時に宴会もスタートする。ビールを山荘で購入し飲む。冷たいビールを飲むと少しずつ元気が出てきた。軽い熱中症だったのかな?そして夕食の「チリコンカン」で体調も回復してきたので少し安心した。明日は予定通り五竜山荘のテント場までは行けるだろう。18時に就寝した。メンバーを不安にさせてしまったことは反省しなければならない。

8月11日(日)
幕営地(3:30)-冷池山荘前(5:20~6:20)-布引山(7:15)-鹿島槍ヶ岳南峰(8:15)-キレット小屋(10:15)

起床は午前2時30分、風もなく山は静かであり、眩いばかりの星明り。今日の天気が約束されているようだった。朝食は冷池山荘前で摂ることにして、準備出来次第出発した。

夜明け前の出発

ヘッドランプを照らしながらまだ眠っている山々の陰影を眺めながら進む。爺ヶ岳の登りはゆっくりと歩を進めていく。先頭はオヨシ、続いてそうべぇ、ヒーさん、コバヤンの順だ。爺ヶ岳山頂は春合宿でB隊(爺ヶ岳東尾根隊)が踏んでいるので、今回は山頂を巻くことにして冷池山荘へと急いだ。午前4時、夜が明けはじめる。

夜明けの雲海

まさに「暁」とはこのことだろう、とても厳かである。雲海に沈む谷や里はまだ目覚めるには早すぎる。稜線上から眺める景色、雲海の果ては深紅からオレンジ色に徐々に移り、山が目覚める。私たちは歩くことも忘れ、その瞬間を見守った。実際の目で見る風景にはかなわないとわかっていても、カメラを構えシャッターを繰り返した。

冷池山荘と鹿島槍ヶ岳

冷池山荘前には5時20分到着した。2時間ほど歩いてきたので、朝食が恋しくなった。小屋前で朝食の準備をする。「パスタとスープ」だ。山でパスタを茹でるのは初めての経験であり、茹でた後のお湯をスープとしていただくのは妙案であった。山でパスタを食べたいと思っていたが、茹で汁の処理を考えるとどうしても躊躇してしまう。食担の工夫が感じられる。お腹も満たされ、朝の陽ざしをいっぱいに浴びながら布引山へと向かう。冷池山荘からしばらく登るとテント場がある。山荘からテント場までは5分ほどの距離。このテント場を利用する場合夜のトイレなどに多少の不便を感じるだろう。

晴天の空と立山連峰

布引山までの稜線歩きは楽しい。布引山からは鹿島槍ヶ岳の南峰と北峰が臨め、双耳峰の立派な山容だ。

布引山にて休憩

アップダウンを繰り返しながら鹿島槍ヶ岳南峰には8時15分に到着した。

鹿島槍ヶ岳山頂
鹿島槍ヶ岳からの稜線

しばらく展望を堪能し、これから向かう八峰キレットに思いを馳せ、ヘルメットを着用し気を引き締めた。

八峰キレットへ

キレットとは漢字では「切戸」と書き、山と山をつなぐ尾根が深く切り落ちている場所のことを言う。通常の尾根よりも細く断崖絶壁もあるキレットは、難易度も高く、岩登りの基本的な技術が必要な場所でもある。八峰キレットは鹿島槍ヶ岳南峰と五竜岳にある難所。キレット小屋から五竜岳までは長い岩稜帯の連続であり、鹿島槍ヶ岳南峰からキレット小屋までは特に難所とされ、特にルートを下りにとった場合は更に難易度が上がる。私たちは南から北に向かうルートを取っているので、慎重に行動しなければならなかった。

慎重にトラバースする

随所に鎖が張られているのでザイルを使うことはなかったが、鎖に頼りすぎると自分の体勢を見失ってしまうので、岩登りトレーニングや救助トレーニングなどで培った三点確保をしっかりと意識しながら通過した。メンバーとは岩登りトレーニングなどで一緒に練習をしているので、お互いの技量は把握している。この点では信頼関係はできていて、安心して行動を共にすることができた。

五竜岳を臨む
八峰キレットの核心部を通過

しかし高度感があるので常に緊張していた。(合宿後であるが、よほど緊張していたのか口内炎が随所にできていた。これはストレスだと思う。口内炎は4,5日で消えた。)キレット小屋には10時15分に到着した。鹿島槍ヶ岳南峰からの降りの緊張感がキレット小屋に到着しほっとした。
小屋で購入しコカ・コーラを飲む、これが実に美味い。実は昨日、種池山荘前でコバヤンがコカ・コーラを美味そうに飲んでいる光景がよみがえり、おもわず購入した。これが本当にうまいのだ。小屋前で休憩中に長野県警山岳パトロール隊員と会話をした。今日の行程が五竜山荘でテント泊の旨を伝えると、「これからの行動ではぎりぎり間に合うかもしれない。しかしテント場の確保が難しいだろう。夏山シーズンであり、人気の山なのでテント場は12時前後でほぼ満杯となる。夕方に到着の場合は山小屋になる事を覚悟したほうがいい。また、今日は発雷の可能性もあるので注意が必要だ。」などのアドバイスをいただいた。鹿島槍ヶ岳南峰からの降りでの緊張、ここから五竜岳へ向かう岩稜帯での緊張を続けることのリスクを考え、翌日の行程も唐松山荘前まで行ければ計画は遂行できると判断。また予備日もあるのでここは無理をせずにキレット小屋にて宿泊することにした。ここにはテントサイトが無いので小屋泊となる。小屋番に宿泊を依頼すると、予約が前提であるため宿泊については了解してもらったものの、案の定注意された。テントサイトが無い山小屋の場合、キャンセル前提で宿泊予約はすべきなのか。寝場所に案内され、明日からの計画を練り直した。小屋のビールは高いが、冷たくてうまい。お昼から続いた宴会は、夕食へと移り、18時には就寝した。

8月12日(月)
キレット小屋(4:10)-五竜岳(8:15)-五竜山荘(9:30)-唐松山荘(12:30)

2時30分起床。いびきや寝言が入り乱れ、寝た気がしない。他の宿泊客も起きはじめ、出発に向けて準備をはじめていた。テントをたたむ必要が無いので、出発にはそれほど手間がかからずに済んだ。4時10分にヘッドランプを点灯させ出発する。昨日の発雷の可能性については、夜中0時頃に遠雷が聞こえたのみだった。雨は降らなかったので岩も濡れていない。朝露に湿っているくらいだ。空には満点の星、今日も天気がよさそうだ。

八峰キレット後半へ

岩稜帯の登山道を進んでいく。昨日と同じように稜線上にて日の出を迎えた。

雲海と朝日
ご機嫌なコバヤン

光景は変わらないが、厳かであり何度見ても飽きのこない瞬間である。明るくなるにつれ進む先々、全容が視界に入ってくる。

五竜岳手前の岩稜帯

五竜岳もどっしりとした山容で構えている。五竜岳の登りが少し大変そうであるが、そんなに遠くは感じなかった。五竜岳山頂に8時15分到着した。

五竜岳山頂

山頂では携帯電話の電波が入ったので、B隊の状況などが気になるのでメールを確認した。入山2日目に隊員1名が体調不良により、ダイヤさんとともに下山したとの知らせがあった。親不知までは長丁場となるので、早々に判断ができて良かったと思う。

五竜岳からの稜線

しばらく展望を堪能し五竜山荘へと向かった。しかし、五竜岳はどっしりとしていて大きいなと感じた。山荘でコカ・コーラを飲む。味を覚えてしまったようだ。唐松岳山荘には12時には到着したいと思い、オヨシにテント場の確保のため、少々急いで歩くように指示したが、韋駄天のようにアッという間に目の前から消えてしまった。今までのゆっくり目のペースで抑えられていた気持ちの反動なのだろうか。または、テント場を確保しなければならないという使命感からなのだろうか。
ヒーさん、コバヤン、私の3人の順でゆっくりと進んでいく。コバヤンのかかとが気になった。両方の靴のかかとが「ぱかぱか」しているのだ。いわゆる、靴のかかと部分がはがれている。どれくらいもつのか心配になり大黒岳で休憩中に尋ねると、本人も自覚していた。唐松岳山荘前には12時30分に到着。オヨシは11時45分に到着し、テント設営場所を探していたとの事。唐松岳の無雪期テント場は、唐松岳山荘の北西斜面があてられる。私たちが設営した場所は、小屋から4,5分ほど下ったところだ。小屋との往復に難儀した。テント設営後明日の予定について確認を行った。コバヤンの靴のかかと剥がれが気になり、明日の行程に支障が無いかを検討した。コバヤンの申告により、大事に至る前に明日は八方尾根を下り、扇沢で車を回収し、猿倉まで迎えに行くという案が出た。予備日を使い天狗山荘前、または白馬鑓温泉にて幕営を考えていたが、この提案により、予備日を使わずに猿倉まで下山できるだろうと考えた。不要となる共同装備もコバヤンに預け、身軽になって不帰キレットを越えることができる。計画の変更をメンバーで了承し、行動に移した。18時には就寝した。

8月13日(火) そうべぇ、オヨシ、ヒー
幕営地(4:35)-唐松岳(4:55)-不帰キレット(6:55)-天狗ノ頭(9:10)-天狗山荘前(9:20~9:50)-白馬鑓温泉(11:30~11:50)-猿倉登山口(15:05)

2時30分ごろ、ごそごそと起きだす。朝食の準備に取掛りながら、一杯のコーヒーを飲む。共同装備としてツエルトの代わりにフライシートを持ち、その他縦走に不要な装備はコバヤンに渡した。キレット通過に荷物を軽くできることは大きなメリットとなる。テント場でコバヤンに見送られ、山荘前に向かう。山荘にて水の補給やその他出発の準備を整え4時35分に唐松岳山荘前を出発した。ここから唐松岳までは20分ほどの登りである。小屋泊の登山客であろうか、軽装で朝食前に日の出を迎えようとして山頂を目指しているのだろう。唐松岳山頂には4時55分到着。

唐松岳山頂
最終日の日の出

多くの登山客が日出を待ちこがれていた。私たちも、山頂からの景色をしばらく堪能した。朝陽が上りだすと剱岳が薄いピンク色に染まり始める。今日もいい天気だ。

立山連峰の目覚め

唐松岳山頂からは、これから進む行程が良く見渡せた。天狗ノ頭まではすぐそこにあるようにも見え、近いなと感じた。しかし、アップダウンを繰り返さなければならず、山々の斜面も切れ落ち厳しそうだ。通過には慎重に行動しなければならないと気を引き締めた。
不帰キレットは唐松岳から天狗ノ頭に至る尾根で、コースタイムも5時間ほどの長丁場となる。天狗ノ頭からの急坂「天狗の大下り」を降りた付近は不帰キレットと呼ばれている。

不帰キレット

難所は、これよりも南側の二峰と一峰の間付近が核心部となる。ほぼ垂直な崖を降りなければならないので慎重さが求められる。三峰、二峰と慎重に進んでいく。

二峰南峰

危険個所には鎖が張られているので、ザイルを出す必要はなかった。ただ、鎖を頼りすぎると自分の体勢が作れない危険性もあるので、頼りすぎないように注意する必要がある。一峰には6時55分到着した。

不帰キレット核心部
緊張感が続く

核心部が通過できたので一安心した。

ご機嫌なそうべぇ
不帰キレットを振り返る

不帰キレットから天狗ノ頭までは急登が続く。「天狗の大下り」と名前がついているだけに、危険ではないが登りは険しい。登りきると広い大地が目の前に広がった。

天狗の頭付近
冬に登った白馬鑓ヶ岳

コマクサの群生、トンボの群れ、風わたる大地を飛ぶトンボは涼しげであり優雅だ。天狗山荘には10分ほどで到着、水の補給をして休憩する。水は残雪から供給されているので冷たくておいしい。ここから先は危ない個所は無いので、気持ちも落ち着く。30分ほど休憩をして鑓温泉に向かった。

鑓温泉分岐

鑓温泉分岐からの急な下りは、南斜面であるため日差しも強く、高度が下がるにつれ気温も上昇し蒸し暑い。

鑓温泉前のお花畑

この状態で鑓温泉までの歩きは疲れた。鑓温泉は、こんなところ温泉が湧いているのかと思うような場所だ。宿泊客、テント泊している人たちは登山客というよりも、山屋ではなく、温泉を楽しみに来ているように見えた。温泉は露天であり丸見え、入浴している人たちは気持ちよさそうだ。もちろん内湯もあるそうだ。夏山シーズンではなく、冬か残雪の時期に温泉を目的で来てみたいと思った。メールを確認するとコバヤンはすでに車を回収したとの事。靴の状態や荷物の量を心配したが、無事に下山できて良かった。私たちも15時には猿倉に下山するとメールにて連絡を入れる。12時前に出発した。ここからの3時間が私にとっては非常につらかった。南側の斜面、気温の上昇、湿度の高さ、これらが体力を消耗させた。なんど弱音を吐いたか。オヨシ、ヒーさんは涼しい顔をして歩いている。悔しいが、これも現実でありしょうがないと諦める反面、体力づくりのトレーニングを怠ってはいけないと反省する。後日談ではあるが、オヨシは膝に痛みがあり、ハイペースでの下山で猿倉まではやはりしんどかったようだ。ポーカーフェイスであるため、気がつかなかった。涼しい顔で楽しんでいたのは、ヒーさんのみであったようだ。
15時5分に猿倉登山口に到着した。

猿倉登山口

バス停前の茶店にコバヤンを見つけた。再会と握手、メンバーの協力のもとに夏合宿を成功で終えたことに感謝した。

(記 そうべぇ)

8月13日(火) コバヤン(八方尾根下山)
幕営地(6:00)-八方池山荘(8:30)-ロープウェイ乗場(9:00)=扇沢駐車場(10:20)=猿倉山荘前(14:00)

メンバーを見送り、6時にテント場を出発した。靴のソールをテープにて補修し歩くが、途中で完全に剥がれた。何度もテーピングを繰り返し八方池山荘前まで無事に到着した。
八方文化会館前でタクシーを拾い扇沢駐車場に向かい、車を回収した。猿倉に向かう途中で大町薬師の湯にて汗を流し2時間ほどくつろぐことができた。くつろぎながらメンバーに心の中からエールを送った。13時に薬師の湯から猿倉に向かう。14時に猿倉に到着。そうべぇさんからは15時に到着するとのメールが入っていたので、どのくらいの誤差で到着するのか楽しみに待っていた。15時5分に再会、到着時間にほとんど誤差のないことに感心した。無事に再会できたことをみんなで喜んだ。

完登に乾杯

(記 コバヤン)

夏山合宿B隊 白馬岳~親不知海岸(栂海新道)

期 日:2019年8月10日(土)~8月13日(火)
参加者:Lダイヤ、こま、みの、りこ、おとっつあん

8月10日(土)晴
相模原(5:30)=栂池高原(10:30)=ゴンドラ・ロープウェイ乗継-栂池山荘(11:30)-白馬大池(14:50)

早朝相模原を出る、高速道路の混雑情報があり相模湖インターより入る。大きな混雑はなく順調に進む。栂池高原の駐車場に車を留め身支度を整えて出発。ゴンドラとロープウェイを乗り継いで標高1800mの自然園駅に30分ほどで上がれ便利である。1800mとはいえ日差しが強く暑い、少し歩くと汗が噴き出す。老若男女多くの下山者とすれ違いながらの登りである。雲で太陽が隠れるとほっとする、また時折吹いてくる風が心地よい。1時間ほどで銀嶺水、冷たい水がうまい。ほどなくして天狗原の湿地帯の木道である、水はほとんど溜まっていない、木道を過ぎてしばらくすると岩のゴロゴロした登りである、高度はどんどん上がる。りこが体力的に厳しいようである。雪渓を一か所通過して乗鞍岳、大きなケルンを過ぎると白馬大池のテント場が確認できる、すでにたくさん張られていて余地がないように見る。

白馬大池のテント場

テント設営の手続きをして場所を探すが適地がない、それでも何とか場所を確保して張ることにした寝心地は悪そうだ。設営後時間があったのでゆっくり過ごす、大池の良い眺めであるが日差しが強く暑い。
りこは食欲なく水分も十分取れていない状態、夕食も食べられないため体力的に縦走は無理と判断、明日はりこ除く4人は白馬岳まで登り、三国境から先の縦走は3人(Lみの、こま、おとっつあん)で繋ぐことに変更とする。

8月11日(日)快晴~晴
白馬大池(4:55)-三国境(7:20)-白馬岳(8:20~8:40)-三国境(9:05~9:30)-白馬大池(12:25~13:05)-栂池山荘(16:05)=栂池高原(17:00)

不調のりこは登れるところまでということで出発、快晴の中徐々に暑さが厳しくなる。途中遠くの槍ヶ岳まで眺めることができた。三国境でザックを置いて白馬岳へ、全員で登頂することができた。山頂で50周年記念の手ぬぐいを広げて記念撮影、ゆっくりした。

白馬岳山頂

三国境に戻り、親不知へと縦走するみの、こま、おとっつあんを見送り、よたに、りこは大池へ下る。時折ガスがかかり暑さをしのげる、テント場に戻りテント撤収し下山開始、3時間ほどでロープウェイ乗場に到着した。稜線は雲に覆われ天気が心配である。下山後、りこは電車で帰宅とした。

(その後のダイヤの行動は以下の通り)
11日:栂池高原駐車場にてテント泊
12日:車で親不知に移動し散策、道の駅にてテント泊
13日:尻高山まで登り三人(みの、こま、おとっつあん)を出迎える。暑い中大変だったと思います、日に焼けた顔が誇らしく見えた。一緒に親不知の海まで歩き50周年記念登山を日本海へとつなぐことができた。

(記 ダイヤ)

8月11日(日)快晴~晴
三国境(9:30)-雪倉岳避難小屋(11:00)-雪倉岳(11:58)-朝日岳分岐(14:40)-朝日小屋(16:21)

三国境に戻ると雪倉岳と朝日岳が目の前に並んでおり今日のルートが丸見えとなる、朝日小屋らしい赤い屋根も朝日岳のかなり左方に小さく見える、これは長丁場だ。今日下山することになった二人と別れ、がれた斜面を下る。

三国境からの登山道

朝日小屋へ向かうパーティは他に見当たらず静かな縦走路となる。雪倉岳を過ぎると暑さのため次第に無口になる。

雪倉岳山頂

朝日岳までの道のりは長く分岐点に到着してホッとする。小屋まであと30分くらいの地点の沢で我慢できずに水浴びが始まりなかなか終わらない。
ようやっと到着した朝日小屋のテント場は広く、キンキンに冷えた飲み物もあり水場も近い、小屋の近くの椅子とテーブルを借用して快適な夕餉のひと時を過ごす。

8月12日(月)晴れ
朝日小屋(6:03)-朝日岳(7:00)-黒岩山(11:12)-さわがに山(13:09)-水場分岐(14:00)-犬ケ岳(15:32)-栂海山荘(15:47)

今日の縦走路も長い、小屋のスタッフから水場の状況はすれ違う登山者から聞くようにアドバイスされる。朝日岳頂上で携帯電話が通話圏内になるもメール作成中に圏外となってしまう。

朝日岳山頂

朝日岳を下り蓮華温泉との分岐付近で栂海山荘からの最初の縦走者に会い水場情報を入手する。いよいよ栂海新道だ、開通後40年経過した新道はよく整備されており、やがて湿原地帯となるが立派な木道が敷いてある。
むしろ黒岩山から分かれるエスケープルートの中俣新道は草ぼうぼうで一人では歩きたくないくらい荒れていた。
今日も暑いが沢筋から吹き上げる冷風で一服する。スリリングなやせた稜線を何箇所か通過してさわがに山に到着する。水場の水流は細くちょろちょろブリキの板から落ちていて汲みやすくとても冷たい、水筒にためた水を頭に掛けてもらったおとっつあんは頭痛を訴える。水筒を満たし、ピークを更に二つ越えて犬ケ岳に至り、程なくして栂海山荘に到着する、テント場には3張りある(翌朝には8張りになっていた)、小屋には6名ほどと噂に反して空いている。

8月13日(火)晴れ
栂海山荘(4:14)-水場分岐(5:40)-白鳥小屋(8:04)-シキ割(9:28)-坂田峠(10:48)-尻高山(11:49)-国道(14:06)-親不知海岸(14:30)

今日も長旅だ、天空のトイレで用をたし、暑さに備えて早立ちする。今度の水場は落ち口がなく岩の上を薄く水が流れて汲みづらい、ビニール袋とかコップで汲んで水筒に移し変える必要がある。
白鳥小屋で朝食にする。シキ割の水場は落ち口が作ってあり時間はかかるが冷たい水が得られる。高齢のトレールランナーが追いついてくる、針の木から入山したそうだ。今日も暑い、私設エードステーションを期待(妄想)していた坂田峠は無人で一同へたり込む。尻高山でダイヤさんと感動の再会を果たし、ひたすら親不知海岸を目指す。

栂海新道にて合流

ようやっと国道沿いの駐車エリアにある登山口に到着して記念撮影。
車に荷物を残し、自動販売機で手に入れた冷えた飲み物を手にして海岸への階段を下る。

親不知海岸にて海水汲みの準備

海水を汲んで噂通りのロングルートをフィニッシュする。

 (記 みの)

会山行A隊 種池~針ノ木峠

期 日:2019年7月6日(土)~7月7日(日)
参加者:Lそうべぇ、コバヤン、ヒー

7月6日(土)曇り
扇沢駐車場(9:25)-種池山荘前(13:10)-岩小屋沢岳(15:10)-新越山荘泊(16:00)

B隊を七倉まで送り扇沢駐車場には9:00到着した。身支度を済ませ扇沢第2駐車場を9:25に出発。5分ほど歩くと柏原新道の登山口に着く。登山口近辺の駐車場はすでに満杯。天候は曇り、周りの山々は雲の中に隠れ顔を出しそうにもない。天気予報は曇りを告げているが下り坂であることは予想できる。登山口から30分ほど歩くと汗が滝のように流れ始めた。北アルプスの7月初めは梅雨も開け爽やかなイメージであるが、樹林帯の中は風が吹かなければ蒸し風呂だ。今回は山小屋泊まりなので荷もそれほど重くないはずだ。この汗のかきかたは、暑さだけのせいではなく体力の低下が招いたことなのだろうか。コバヤンも同じく大汗をかいているが、ばててはいない。ヒーさんは楽しそうだ。加齢であり、仕方のないことなのだろうか。80歳までは今と変わらずに元気で山を歩きたいと思っている。体力が落ちないようい日々の生活を大切にしなければならないと反省する。八ツ見ベンチ10:15、2280m付近12:15。そうべえが遅れる。弱気の虫が騒ぎ始める「私は種池山荘泊まりとして、明日は柏原新道を下山しよう」などとくだらないことを考え始めた。コバヤン、ヒーさんから遅れること10分、13:10に種池山荘前に到着した。弱気の虫を飲み込み先に進む。ここから2時間30分ほどで新越山荘だから、もう少しの辛抱である。前を歩く2人と差が広がる。2人は差が広がらないように要所にて私を待つ。

稜線にて小休憩

15:10岩小屋沢岳を通過、16:00に新越山荘に到着。種池山荘前から新越山荘までの稜線歩きは曇りで展望はなかったが、足元にはイワカガミの群生、北アルプスは花の季節を迎えたのだ。これからいろんな高山植物が咲き乱れるのだろう。花が気持ちを落ち着かせてくれた。

ツガサクラとイワカガミの群生
他にも高山植物が咲いていた

山荘に到着したらすっかり元気になった。睡眠不足と長時間の車の運転、これも体調に影響したのかもしれない。車の運転は躊躇せず交代するようにしよう。山荘は小屋明けをしたばかり、天気も下り坂なのでキャンセルも出たとのこと。我々のほか3パーティのみで静かだ。八畳間の部屋に3人、なんと贅沢なことだろう。最盛期には20人ほど詰め込むそうだ。自炊後、20時消灯。8時間ぐっすり寝た。
新越山荘は、感じの良い山小屋だ。スタッフの対応は親切、部屋も清潔。自炊部屋は少し狭いと感じた。トイレはトイレットペーパーを便器に捨ててもOK。処理は燃やすので紙類があったほうが効率よく処理できるとのこと。トイレ事情は山小屋ごとに異なるが、登山者としては一番の関心ごとであろう。

7月8日(日)雨
新越山荘(5:20)-鳴沢岳(6:00)-赤沢岳-スバリ岳-針ノ木岳(10:00)-針ノ木峠(11:15)-扇沢駐車場(14:15)

午前4時に起床。とてもぐっすり眠れ、コバヤンの鼾や寝言も気にならなかった。外はガスっており、雨まじりだ。各自で用意した朝食を簡単に済ませ、身支度後5時20分に新越山荘を出発した。霧雨なので雨具を着込み歩く。もちろん展望は得られない。進む方向の右側(北)には名だたる峰々が並んでいるはずだ。展望がない分、足元の高山植物を見ながら歩けたことは儲けもんかもしれない。雷鳥も現れ、我々が歩く先々をまるで道案内をしているように登山道をゆっくり進んでいる。お尻を振りながら歩く姿はかわいい。出発は予定より20分遅れたが、鳴沢岳には予定の6時に到着した。

鳴沢岳山頂

展望がないのでプレッシャーとなるアップダウンを気にせず歩け、気付いたら目的の山頂に到着している、こんな感じだ。

スバリ岳山頂

針ノ木岳も予定通り10時に通過。ここから針ノ木峠までが今回の山行の核心部だった。残雪がいつもの季節よりも多く残り、ステップは切られているが雨のためコンディションが悪い。アイゼンを装着しても効きが悪く、足元がおぼつかない。滑ると谷底まで落ちてしまうので慎重に通過した。

慎重に雪渓を歩く

針ノ木峠には11時15分に到着。コバヤンと冗談交じりに、B隊と会えると感動だなと話をしていた時、「何か声、聞こえません?」。「まさか。」しばらく耳を済ませていると、本当に聞こえてきた。人影も見えてB隊と奇跡的な合流だった。ちょっと感動したな。B隊は七倉から船窪を経由し蓮華岳から扇沢を目指していた。B隊の幕営地から針ノ木峠までのコースタイムはA隊(我々)とほぼ同じ。もしかしたら出会うかなと思っていたが、まさか本当に出会うとは…ちょっと感動的です。

針ノ木峠で合同記念写真

針ノ木峠で合同の記念撮影を行い、一緒に針ノ木雪渓を下り無事に扇沢へと下山した。14時15分だった。

(記 そうべぇ)

会山行B隊 七倉岳~蓮華岳~針ノ木峠

期 日:2019年7月6日(土)~7月7日(日)
参加者:Lレー子、ヨッシー、みの、りこ、オヨシ、たちこ、おとっつあん

7月6日(土)曇り
相模原(5:00)=七倉(9:00)-小町合流(14:30)-天狗の庭(15:07)-船窪小屋(16:00)-幕営地(16:15)

まだ梅雨も明けず、数日前からの天気予報は思わしくないため、奥秩父の代替案も作成してあったが、直前になり予報がやや好転したため予定通りとする。種池から赤沢岳、針ノ木岳をトレースするA隊と一緒に2台で相模原を出発。安曇野の道の駅でヨッシーをピックアップして七倉へと向かう。A隊はB隊を降ろして、車2台で扇沢に移動。これから登る七倉尾根は10日前にヨッシーがブナ立尾根から不動岳を登り、下っているので、心強いガイド付きである。
この日は曇りだが雨に降られることなく9時に出発。登り始めてすぐにりこが遅れ始める。共同装備は持っていないため、行動中使わない個人装備をみんなに振り分けて持ってもらうが、それでもパーティは二つに分かれてしまい、りこ、レー子からは先行メンバーは全く見えない。梯子が連続する鼻突八丁になんとかたどり着いたが、翌日の行動を考えると2人でここから下山したほうが安全であり、他のメンバーに迷惑を掛けずに済むと考えヨッシーと携帯で相談する。ヨッシーたちは既に天狗の庭まで上がっており、その先は緩やかになるとのことで、みのさんがサポートに下りてくれることになった。みのさんにりこのザックを持ってもらい、ゆっくりゆっくり登る。みのさんのザックがデポしてある天狗の庭からは、みのさんはザックを2個背負ってしばらく進む。間もなくテント場に着いたオヨシが戻って来てザックを持ってくれた。ようやくたどり着いた船窪小屋で温かいお茶をいただき、ほっと一息つくことができた。テント場はまだ先なのでゆっくりもしていられない。
テント場に着くとまだ雪渓が残っており、雪のない場所にギリギリ2張りのテントを既に張ってくれていた。りこをテントで休ませ、ちょっと寒いが外で食事の準備をし、開宴。会山行で初めての小屋泊りであるA隊からメールが入り、新越山荘はほとんど貸し切り状態らしい。翌日の行動については朝の天気、体調を考え決めることとして就寝する。

7月7日(日)雨
幕営地(5:00)-七倉岳(5:25)-七倉乗越(6:25)-北葛岳(7:25)-北葛乗越(8:25~8:35)-蓮華岳(10:40)-針ノ木峠(11:30)-大沢小屋-扇沢(14:10)

夜中テントを叩く雨音は大きく、かなり降ったようだ。狭い場所のためフライをしっかり張ることができず、端に寝たおとっつあんは大分濡れたらしく体調がすぐれず、朝食を食べることができなかったが、りこは朝食も食べ、体調に問題はなさそうだ。パーティを分けることも考えたが雨の七倉尾根を下るのもリスクが高いため、今日もりこの装備をみんなに振り分けて、計画通り針ノ木峠を目指すこととする。
雨の中テントを撤収して出発。

七倉岳山頂

せっかくの稜線歩きも雨とガスで何も見えない。今日はパーティが分かれないようにペースを落として進んでもらう。

北葛岳山頂

北葛乗越からは鎖場がはじまり、下りのルートとして使うには神経を使いそうだ。鎖場も終わり、そろそろ蓮華岳かと思うが、山頂は広くガスでまわりの景色が何も見えないため、なかなか着かない。A隊の現在地が気になるが、今日は携帯もうまく繋がらない。山頂らしきピークに3人の姿が確認でき、A隊がりこを心配して迎えに来てくれたと思い、大きく手を振るが反応がない。山頂に着くと残念ながら別のパーティだった。

蓮華岳山頂

大沢には雪渓が残り、大沢右俣を登り滑った時の感動を思い出す。鎖場を過ぎた頃から結局パーティはまた二つに分かれ、そろそろ針ノ木峠かと思う頃、前方から歓声が聞こえた。A隊と合流できたようだ。遅れて我々も到着。特にB隊を待ってくれていたわけではなく、偶然出会えたとのこと。偶然でも出会えてよかったと、一緒に記念写真を撮り、アイゼンを着けて下山開始。針ノ木の下りはいつもスキー板を履いているので、あっという間に扇沢に着くのが常だが、残念ながらもう雪渓は大沢小屋よりだいぶ上で割れており、途中で左の登山道に逃げ、大沢小屋からは沢沿いの道を下った。途中ピンクの花をつけた木がたくさんあり、そうべぇさんがヨッシーに名前を聞くが、「知らん!」と言われてしまう。後日調べてみると、タニウツギと言う花のようだ。道路に出て扇沢に到着、雨の1日は終わった。
いろいろあったが、ヨッシーの不動岳も含め、なんとかこの長い手強いルートを手分けして繋ぐことができて本当に良かった。暁ビッグバンド・トレイルに現実味が出てきた。

(記 レー子)

烏帽子小屋~七倉岳

期 日:2019年6月25日(火)~6月26日(水)
参加者:ヨッシー

6月25日(火)
高瀬ダム(7:30)-ブナタテ尾根取り付き(8:00)-三角点(10:15)-縦走路(11:26)-烏帽子岳(13:00)-幕営地(13:52)

七倉よりタクシーで高瀬ダム上に。トンネルを抜け吊り橋を渡りキャンプ場を通り過ぎ、濁沢を渡るとブナタテ尾根の取り付きになる。濁沢で水を補給する。

ブナタテ尾根登山口 水を補給

急登で有名?なブナタテ尾根。予備日を含め3日分の荷が重い。ペースを乱さないようにゆっくりと登る。過去上り下り一回ずつ来ているがこんなに登り易かったかな、と遠い記憶が思い出せない。

裏銀座と烏帽子船窪方面の分岐

順調に尾根を登り切り、縦走路を左に少し行くと烏帽子小屋。

烏帽子小屋

小屋明け前で中では作業をしている音がする。眼前には赤牛岳や薬師岳から立山方面への稜線が広がる。
烏帽子岳方面は未経験ゾーンだ。前烏帽子岳を過ぎ、烏帽子岳への分岐を見落とし時間をロスする。烏帽子岳の山頂手前は岩場になりザックを置いて往復する。

烏帽子岳山頂

縦走路に戻り、四十八池の入り口付近で雪のない平らな所を見つけ幕営地とする。

内緒の幕営地

残雪も豊富で水作りには苦労しなかった。

6月26日(水)
幕営地(4:40)-南沢岳(5:23)-不動岳(7:02)-船窪岳第2ピーク(8:55)-船窪岳(10:06)-針ノ木谷分岐(10:32)-船窪小屋テント場(11:16)-七倉岳(11:54)-船窪小屋(12:35)-七倉(16:28)

夜明けとともに行動開始。池には薄氷が張り、軽アイゼンをつける。残雪が多くルートがわかりづらい。

南沢岳

南沢岳、南沢岳乗越と順調に進む。不動岳の登りになるあたりで雪渓に出る。

不動岳

ルートがよくわからないが雪渓を直上する。軽アイゼンとピッケルが無ければ雪渓の際を藪を掴んで強引に登るしかなかった。不動岳からは不動沢側が崩落している箇所が多く現れる。手入れはされていて通過困難な所はない。船窪岳第2ピークからの下りでは40mほどのガレ場が悪い。

船窪岳第2ピーク

固定ロープに体重を預けて降るしかないのだが、上部の一箇所で固定してあるだけなので、一人ずつしか通過できない。

最大の難所
上部を拡大したもの

ここが最大の難所だった。

船窪岳山頂 標識が無ければ通り過ぎてしまうような小ピーク
針ノ木谷出合分岐

船窪小屋のテント場は残雪に覆われていた。水場を確認し七倉岳に向かう。2回目の七倉岳。残す未踏破区間は蓮華岳までの間だけ。

七倉岳山頂 蓮華岳は次回にお預け
船窪小屋の先から七倉ダムを望む

体力的にきつかったのと夜半から天気が崩れるとの予報なので七倉に下山する。ブナタテ尾根より標高差があり、岩がゴロゴロして歩きづらく梯子も多い。ふらふらヨレヨレで七倉まで辿り着く。

七倉の登山口に辿り着く ヨレヨレふらふら

ここが一番の核心部だったかもしれない。七倉山荘で汗を流して帰宅の途につく。
いなはるさんとかしけい君の三人で上ノ廊下を遡行した時の帰路に利用して以来でした

(記 ヨッシー)

針ノ木岳

期 日:2019年5月11日(土)
参加者:Lレー子、みの、オヨシ(ツボ足)、ヒー

5月11日(土)快晴
扇沢(8:30)-大沢出合(9:40)-マヤクボ沢出合(11:50)-マヤクボカール(13:00~13:10)-稜線(13:55)-針ノ木岳山頂(14:15~14:25)-稜線(14:30~14:50)-大沢出合(15:40)-扇沢(16:15)

春山合宿の帰り、今シーズンの滑り納めになるかもしれない針ノ木岳を計画。一時期毎年5月に通っていたが、暁の山スキー人口が減って久しぶりの針ノ木岳。朝発の日帰り山スキーは午前3時起きが何より辛い。4時30分みの家目標で自宅を出発するが、順調すぎて4時10分には到着。表で10分待ってオヨシ家を経由して扇沢に向かう。さすがに10連休明けで高速は渋滞もなく順調に進む。

扇沢の無料駐車場は立山への登山客や観光客の車でいっぱい。日帰りなので1000円払って有料に止める。8時30分板をザックに着けて出発。道路を2回横切り、いつもの場所から板を履いて雪渓に入る。大沢出合までは例年の5月最終週と思われる雪の少なさで、ギリギリ板を履いて堰堤を超えられる状況。おそらく来週は途中板を脱ぐことになるだろう。大沢小屋には周辺で雪上訓練を行うと思われるパーティのテントが何張もあった。ここからデブリを避けながら各自思い思いのルート取りでマヤクボ沢出合まで進む。
出合からはいつも右寄りのマヤクボのコルを目指すルートで登っていたが、今回先行者はみんな左寄りの急登を登っており、特に雪崩の心配もないため先行者に続くが、途中からツボ足で登るほうが早そうなので、板をザックに着ける。カールに出て更に山頂までもうひと頑張り、山頂直下の稜線には景色を楽しむボーダーやスキーヤーが7、8人いた。山頂までわずかな雪壁を登って記念撮影。

針ノ木山頂

50周年記念暁ビッグバンドに含まれる針ノ木岳、今回はピークハントのため、誰かに爺ヶ岳から針ノ木、船窪岳、烏帽子岳へと繋いでもらいたい。立山方面の景色を十分堪能し、滑走準備を行う。今回もオヨシさんは尻セードを駆使しての下山。マヤクボ沢出合までは尻セードも順調だったが、やがて傾斜が緩くなりデブリに阻まれ、ツボ足に切り替え、走る、走る。稜線から滑走終了点まで、山スキーからはやや遅れたものの1時間強で下山。

春山合宿に続き、天候に恵まれ楽しく登り、滑ることができた。

マヤクボカールを振り返る
ザラメ最高!

早起きは3文の得!

(記 レー子)

春山合宿C隊 白馬岳~白馬鑓温泉分岐

期 日:2019年5月4日(土)~5月5日(日)
参加者:<山スキー隊>CLレー子、みの、ヒー <ワカン隊>Lオヨシ、こ~平、おとっつあん

5月4日(土)快晴
猿倉(6:45)-白馬尻(7:40)-葱平(10:40)-2500m(12:10~12:50)-頂上宿舎(14:00~14:45)-白馬岳山頂(15:35~15:45)-頂上宿舎(16:40)

連休前半は天候が安定せず、当初の計画は3~4日で5日を予備日としていたが、3日はまだ寒気の影響があり、雷雨や強風の可能性があったため、出発を1日遅らせて、4~5日の予備日なしに急遽変更した。2年前の春山合宿に小日向山の山頂で突然吹雪かれ、テントに戻ってからも雷鳴に脅えたことは記憶に新しく、予備日を設けたことで、柔軟な対応が可能となった。
出発を1日遅らせたことで、前夜の集合時間も橋本駅22時から19時集合に変更でき、余裕を持っての出発となった。10連休で昼間は大渋滞だったようだが、夜は特に渋滞に巻き込まれることもなく、無事白馬に到着した。みそら野の駐車場で仮眠したが、例年になく駐車台数は多く、仮眠の穴場もだいぶ周知されたようだ。
天気予報は晴れのはずだったが、翌朝テントから顔を出すと、いちめん霧に包まれヤキモキさせられたが、駐車場は霧が溜まりやすい地形なのか、二股手前から突然霧が晴れて白馬の稜線が現れ安堵した。
今回は山スキー3人ワカン3人の混成チームで、本日は大雪渓を詰めて頂上宿舎で幕営の予定とし、6時45分出発。例年駐車場には登山指導の方たちがいるが、今年は連休も後半のためか、計画を聞かれることもなかった。ちょうど4週間前にヨッシー、みのさん、ヒーさん、レー子で金山沢を滑って猿倉に滑り降りているが、雪は大分減っている。馬尻には3号雪渓からのデブリが到達しており、右岸側を進む。右岸台地には数張りのテントがあり、白馬主稜を登っているパーティも見え、彼らのテントか、若しくは馬尻ベースでの山スキーヤーのものと思われる。

大雪渓のデブリ

2200mを超える辺りから傾斜は徐々にきつくなり、風もなく気温は上がり、テント泊の重荷が肩に食い込む。ここから山スキー隊はシール登行をあきらめつぼ足で登るが、暑さのせいか、慣れない板をザックに付けての急な登りのためか、この辺りからヒーさんが徐々に遅れ始める。2500m付近で頭痛の訴えがあり、薬を飲みゆっくり休憩する。

快晴のもとで休憩

14時村営頂上宿舎に着き、テントを設営する。テント場が一杯で良い場所を確保できないのではと心配していたが、小さなテントが1張りのみで、その後も3張り増えただけだった。空身で山頂に向かうが、白馬山荘の前には多くの登山者がくつろいでおり、大雪渓を登っていたほとんどの登山者が、小屋泊りか日帰りと思われる。稜線上はほとんど雪がなく、山スキーの兼用靴にはつらい歩きだ。山頂で50周年のための記念写真を撮りテントに戻る。

白馬岳山頂

途中明日滑る予定の清水谷左股を偵察するが、二股近くの谷が狭まっており、途中までの滑りと登り返しのトレースが確認できたのみで、上部は開けて快適な谷に見えるが、あまり滑られていないようだ。翌日の天候とヒーさんの体調で決めることとした。その夜は満天の星で風ひとつない静かな夜だった。

5月5日(日)快晴
幕営地(7:15)-杓子岳分岐(8:45ワカン隊山頂往復)-杓子沢コル(9:30~10:10)-白馬鑓ヶ岳(11:10)-鑓温泉分岐(11:40~12:00)-鑓温泉上(12:30~12:50)-湯ノ入沢(13:15)-小日向のコル(14:05~14:30)-猿倉(15:15)

テント撤収

5時起床、今日も快晴。ヒーさんの体調は回復したが、テント泊の装備を背負っての滑りと、暑い中での長い登り返し、その後も白馬鑓から湯ノ入沢まで滑らなければならず、今回清水谷滑走は見送ることとし、6人で稜線を進む。山スキー隊は板を背負っているためピッチが上がらず、杓子岳の山頂はワカン隊の3人に任せ、杓子沢のコルまで先に進む。

杓子岳に向かってGO!
杓子岳山頂

休憩中スノーボードを背負った単独者が通りかかり、朝4時30分に猿倉を出発し、鑓温泉に入って帰るとのこと。白馬には通いなれているようで、清水谷は毎年滑っており、きれいな斜面の続く良い沢で、比較的遅い時期まで滑れるとのこと。尾根を登り返す場合は雪が固いのでアイゼンを使用したほうが良いが、そのまま沢を詰めて杓子沢のコルに出て、杓子沢を途中まで滑り、樺平を超えて長走沢に入るのも良いとのアドバイスを受ける。但し、今年は3ヶ月前に鎖骨を折り、病み上がりの為、清水谷には入っておらず、今年の滑走情報は得られなかった。
杓子岳山頂を往復したワカン隊がこちらに向かう姿を確認し、山スキー隊は白馬鑓の山頂に向かう。山頂で合流し、記念写真を撮影。

白馬鑓ヶ岳にて これで白馬三山制覇!

山頂には先ほどのスノーボーダーのほかに、単独のスキーヤーがおり、白馬山荘に泊り、今朝清水谷を滑って登り返してきたとのこと。朝早いので雪はやや硬かったようだが、非常に良い斜面だったそうで、うらやましい限り。お二人は山頂から鑓温泉を目指して滑り込んで行ったが、荷物の重い我々には無理があるので、昨年と同様、稜線を少し下った鑓温泉への分岐まで移動し、そこでワカン隊と別れて滑走準備をする。

どこから滑り込もうか?

昨年に比べて雪は少ないが、適度に緩んで快適なザラメだ。途中右岸側からのデブリがあったが、昨年に比べ雪面はきれいで快適な滑りが続く。

カッコイイみのさん
快適な斜面

アッと言う間に鑓温泉を見下ろす場所まで滑り下りてワカン隊を待つこととするが、尻セードを駆使してあまり遅れることなく到着。

負けない尻セード隊

湯ノ入沢でシールを貼って、小日向のコルまで登り返す。コルから滑った斜面を眺めて大満足。

満足~小日向のコルから

コルからもワカン隊を時々待ちつつ猿倉の台地に滑り込む。長走沢上部は比較的新しい大きなデブリが発生していた。台地からはやや縦溝が気になるが、雪は緩んでいるので滑りに影響はない。一昨年、昨年ベースにした場所にはテントが1張り。あっという間に林道に出て、ほぼ予定通り3時15分に猿倉の駐車場に帰ることができた。
今回個人的な事情で計画が遅れ、また準備会にも参加できなかったため、山スキーとワカンとの混成隊での行動、装備計画等がギリギリまで不確定だったことは反省すべき点で申し訳なく思うが、6人と言う人数で、好天に恵まれ、50周年記念のルートの一部である白馬三山のピークを踏めたことに感謝したい。

(記 レー子)